近著でも軽快ながらも思慮深さをうかがわせるパックン(大和書房『パックンの「伝え方・話し方」の教科書 世界に通じる子を育てる』より)
NEWS・小山慶一郎と加藤シゲアキの未成年飲酒強要事件で、あらためて芸能人が報道番組に携わることの是非が議論になっているが、この問題は、なにも彼らの不祥事リスクが高いからというだけではない。
その解説やコメントの質の問題だ。いま、数多くのワイドショーにお笑い芸人がコメンテーターとして登場しているが、そのほとんどは権力に迎合し、空気を読んだ当たり障りのないことしか語れない。
その問題について、お笑いコンビ・パックンマックンのパックンことパトリック・ハーランが非常に鋭い考察を開陳している。
「週刊ニューズウィーク日本版」(CCCメディアハウス)2018年5月15日号でのことだ。まず、パックンは日本のお笑い文化についてこのように断言する。
〈100%の確信を持って「すごいです」と答えよう。とりあえず即答だ〉
言っておくが、これは、ネトウヨ相手に「日本すごい」を連発しているケント・ギルバート的なそれではない。というか、そのパロディという意味合いも含めた「すごい」だ。
アメリカから来たばかりの頃のパックンは、他の多くの外国人同様、日本のお笑いの何が面白いのかわからず、「リアクション芸」も「漫才」もまったく理解できぬまま〈「スリッパで頭をひっぱたくだけで笑いがとれるこの国ってすごいね〜」と、軽く蔑視していた〉という。
ただ、芸人として実際に日本でお笑いをやっていくうちに、その考えは180度変わる。嘲っていた日本の笑芸には、実は卓越した技術が必要であることがわかってくる。ダチョウ倶楽部のような芸をするのにもセンスが必要であり、ただ「スリッパで頭をひっぱたくだけ」ではなかったのだ。
これがポジティブな意味での「すごい」。しかし、パックンは同時に、このように続ける。
〈日本は忖度の国。体制側からの圧力は「すごい」〉