それだけではない。大貫氏が青木氏に明かしたところによれば、この「省秘」指定から2日後の9月5日前後、情報本部の統合情報部周辺では、さらなる隠蔽工作が行われていたというのだ。情報本部に在籍していた大貫氏がこう証言している。
「これも上層部の指示でしたが、問題化した文書をパソコンから削除しろと職場で指示されました。国会で騒がれてしまったから、必死で隠滅を図ろうとしているのだと私は受け止めました」
さらに大貫氏は、取り調べにあたる刑務官から「この件は官邸マターだから捜査に協力しろ」「この件については行政の長も激怒しているんだぞ」といった言葉も浴びせられたという。
つまり、安倍首相が国会で「文書は確認できなかった」と強弁したから、防衛省は実在する文書をなかったことにするため、秘密文書に指定し、省内からも痕跡を消そうとした。そうとしか思えない。詳しくは青木氏の『情報隠蔽国家』を読んでもらいたいが、この安保関連文書の隠蔽問題にしても、森友・加計学園問題や自衛隊日報問題にしても、その根はすべて、安倍首相につながっているのである。
私たちは「見える」ことのみを“現実”だと把握する。しかし、公文書の隠滅は、国民から真実を隠し、のちの歴史の検証をも遮断してしまう。それは、為政者にとって、ありのままの現実が不都合だからにほかならない。実は、すでに海外での戦闘で自衛隊員が死亡しており、政府がそれを隠していたとしても、もはや、少しも不思議ではないだろう。いま、安倍政権のもとで起きている事態の深刻さは、その域にまで達しているのだ。
(編集部)
最終更新:2018.05.28 11:54