石田純一の著書『マイライフ』(幻冬舎)
福田淳一・前財務事務次官のテレビ朝日記者へのセクハラ事件は、この国の性差別に対する意識の低さを改めて浮き彫りにした。それは、被害者のテレ朝記者に対して的外れなバッシングが巻き起こったというだけではない。セクハラを批判するワイドショーや識者のコメントのなかにも、その問題は垣間見えた。
そのことを鋭く指摘したのが、石田純一だ。石田は「週刊新潮」(新潮社)で「還暦も文化」なるタイトルのコラムを連載しているのだが、発売中の5月17日号で福田前事務次官のセクハラ事件を「かばう余地は1ミリもない」と糾弾したうえで、麻生太郎財務相の「いまの時代ではアウト」という発言にこう斬り込んだのだ。
「『いまの時代では』と言うけれど、昔はセクハラがオーケーだったわけではない。女性が我慢させられていただけで、いまも昔もアウトであることを忘れてもらっては困る」
セクハラはいまも昔もアウト。石田の指摘は、まさに正論であり正鵠を得たものだが、実際、今回のセクハラ事件で“いまの時代では”というエクスキューズをつけているのは麻生財務相だけではない。
いみじくも、加害者である福田前事務次官も財務省の調査でセクハラと認定されたことに「なるほど、今の時代はそういう感じなのかと」と語っていたが、何よりセクハラを糾弾しているはずのマスコミも同様だったからだ。
たとえばこの問題を何度も取り上げている『バイキング』(フジテレビ)で、司会の坂上忍は今回のセクハラ事件を厳しく批判しているが、一方で「今の時代は」「今のご時世」などの言葉を何度も使い、セクハラに対する認識を語っている。また同番組での小籔千豊にいたっては、財務省がセクハラ認定したことを「世間の風潮を怖がってだと思う」と明確に“時代の空気”のせいにしていた。
この“今はアウト”“今の時代は”というフレーズ・枕詞は『バイキング』だけでなく、多くのワイドショー司会者やコメンテーターたちがしょっちゅう口にする言葉なのだ。さらに亡くなった俳優・森繁久弥のセクハラ的言動をもち出すなどして、“昔はセクハラなんて概念さえなかった”と得意げに開陳する芸能記者のコメンテーターさえいた。