しかも、悪質なことに、安倍政権はたんに開き直りで逃げ切りをはかるだけでなく、むき出しの女性蔑視発言や、批判を被害者のほうへすり替える暴挙に出ることで、世間の仄暗い差別的な感情を扇動している。
思い出してほしいのが、テレ朝の会見直後、メディアで「どうしてテレ朝はセクハラを知っていたのに財務省に抗議しなかったのか」「記者が他社の『週刊新潮』にネタをもち込むとはいかがなものか」なるテレ朝バッシングが起こり、ネットでは記者の個人情報を拡散するなどの攻撃が加熱したことだ。
こうした流れを安倍政権は見逃さない。事実、この時期には自民党議員による“福田次官のセクハラを批判する人たちのほうがおかしい”という攻撃が露骨になっていた。
たとえば、自民党の長尾敬衆院議員は、自身のTwitterでセクハラ問題に抗議する野党の女性議員が中心となった写真を投稿し、〈こちらの方々は、少なくとも私にとって、セクハラとは縁遠い方々です〉とセクハラ丸出しの暴言をツイート。安倍首相がベタ惚れしている杉田水脈衆院議員も〈これって「現代の魔女狩り」じゃないかと思ってしまう〉〈セクハラ、セクハラと騒ぐ裏には思惑があります〉などと投稿した。
異常としか言いようがない人権感覚の欠如であり、もちろん、心ある人たちは大きな反感を覚えた。しかし、一方で、安倍政権の応援団やネトウヨたちは、そのグロテスクな暴言に活気づき、これを増幅させるスピーカーの役割を果たしている。その結果、極めて下衆な声だけが、どんどん大きくなっていっているのだ。
人々が公権力を批判するエネルギーは無尽蔵ではない。政権は、消耗戦に持ち込めばよく、時間切れで引き分ければ勝利も同然なのだ。しかも、最低の政権は最低であり続けることで、人びとの感覚を麻痺させていく。
賭けてもいいが、麻生財務相はこれからも被害者を貶める暴言を放つだろう。そして、安倍首相はそれを徹底して擁護し続けるだろう。しかし、わたしたちは「もううんざり」と目を背けていけない。こっちが先に疲れてしまっては、相手の思う壺なのだ。
(編集部)
最終更新:2018.05.07 11:53