人(国民)の話に耳を傾けず、考えるのは金のことばかり。公文書改ざんやオトモダチ優遇をめぐってこれだけ国民から異論が噴出しているのにもかかわらず、相変わらず保身に走り続ける姿勢。東日本大震災で浮き彫りになったはずの大切な教訓を一顧だにせず、命より利益追求を優先させて原発再稼働を押し進める姿勢。現在の政権には「おしまい」の要素だらけである。
この小三治と正蔵の対談は、前編が4日放送『演芸図鑑』でも放映されており、それを考えると収録されたのは公文書改ざんなどが発覚する前だが、図らずも完璧なタイミングでの「総理大臣、いつまでやってんだ」発言となった。
落語家といえば、先日、〈この国での貧困は絶対的に「自分のせい」なのだ〉と「自己責任論」をぶったツイートで三代目桂春蝶が大炎上したのは記憶に新しい。しかも、自分の知識不足やデマが原因で炎上したにもかかわらず、その後も「夕刊フジ」でリベラルを「クレーマー」よばわりするなど、そのへんのネトウヨとまったく同じで、反省する姿勢はまったくない。
その春蝶は『明日ある君へ~知覧特攻物語~』という、鹿児島県知覧基地から飛び立った特攻隊員を描いた創作落語を高座に上げているが、この噺も表向き「戦争の悲劇」を語り継ぐようなポーズをとってはいるが、「特攻」や戦争を美化し、国のために国民が命をなげうつことを称揚するものだ。
まさに、行動パターンがなにからなにまでネトウヨ丸出しで呆れ果てるが、戦争について、その春蝶と真逆のスタンスを表明しているのが、桂歌丸と二代目林家三平だ。
実は落語界には「国策落語」と呼ばれ、第二次世界大戦中、戦争協力を強いられた当時の落語家たちが、軍隊賛美、貯蓄、債券購入、献金奨励などをテーマに入れ込み、「身も心も国に捧げることを是」とする、まるでプロパガンダのような噺をたくさんつくりあげてしまったという苦い過去がある。
桂歌丸はインタビューで戦争の話をするときはしばしば「つまんなかったでしょうね」「お国のためになるような話ばっかりしなきゃなんないでしょ。落語だか修身だかわかんなくなっちゃう」と、落語界がもつ負の歴史として「国策落語」を紹介し、そのうえで、「今、日本は色んなことでもめてるじゃないですか。戦争の『せ』の字もしてもらいたくないですよね。あんな思いなんか二度としたくないし、させたくない」と語っている。(朝日新聞デジタル15年10月19日)
また、二代目林家三平は、祖父・七代目林家正蔵がつくった国策落語「出征祝」を敢えていまの日本で再演することにより、戦中の日本を見つめ直すという取り組みを行っている。これについて彼は「いまの時代は平和でものも自由に言える。これからの社会を考えたいと思う人たちの前で、国策落語はまだまだやってみたいと思っています」とコメントしていた。