Aさんが出向先で行うべきとされた業務は「自身の転職先を探すこと」であった。
要するに、仕事はしなくていいから、出向先でパソコンを開いて転職サイトで転職先を探し、求人があれば応募をして一日も早く転職を決めて、元の会社をめでたく退職するようにとの業務命令であった。Aさんは、びっくり仰天して、当然ながら、これは実質的には退職勧奨であり、会社を辞めるつもりはないので当然に断った。
会社側もここまでの流れから当然のことながらそれで引き下がることはなく、
「どうして断るんだ。会社は君のためを思って転進先を探すために必要な環境を与えてあげるんだよ。給料もいままでどおり払うし、転職に必要にサポートは全面的にする。こんないい条件なのにどうして断るんだ?」
「いいかい、考えてみたまえ。繰り返すが、いまの会社に君の居場所はない。部署の異動も考えたが、どこの部署も君を受け入れるつもりはないと言っている。ほかの会社だったら、当然にリストラの対象者だよ。夫がリストラに遭ったなんて、奥さんにどうやって説明をするんだ。恥ずかしいし、カッコ悪いとは思わないか」
「会社は、君を解雇するだなんて一言も言っていないじゃないか。会社は君の将来のことを第一に考えて、もっと積極的な気持ちで、ポジティブなマインドで考えられないかな」
「いまの会社からステップアップして新たなスキル、ステイタスを獲得できるチャンスなんだよ」
などなど、畳みかけるようにAさんを説得しようとした。
Aさんも上司らの話を聞き続けるうちに何が正しいのか、会社を辞めたくないという自分の考えが正しいのか、訳がわからなくなってきてしまった。ただ、いろいろきれいな言葉は並べられているが、結局のところは、出向先に行って真面目に「業務」に取り組めば取り組むほど、転職の実現可能性は高まり、転職活動が功を奏して転職が決定すれば、いまの会社を退職することになるのだから、どう考えても、退職を求められていることには変わりはないではないか。
結局、会社側は業務命令として、Aさんに対して出向を命じたことから、Aさんは弁護士にも相談の上、「異議を留め」た上で出向に応じることにした。「異議を留め」るとは、出向には本来同意も納得もしていないが、業務命令違反でさらなる不利益(解雇等)をされるのは現実的な不利益が大きいことから、出向命令自体を認めたわけではないが命令である以上さしあたり従わざるをえないという意味を込めて、会社側に「異議」を示したうえで出向には応じるという対応方法である。