たしかに伊達の言うように、「5年で一区切り」というムードが“震災の風化”に拍車をかけたのは事実だ。前述したように、メディアも6年目から極端に報道量が減った。
しかしその“区切り”は自然発生的なものではなく、意図的につくりだされたものだ。
昨年2017年3月10日、東日本大震災6年を目前にして、政府は野田佳彦首相時代から続けられてきた毎年3月11日に開く首相記者会見を、政府がとりやめると発表した。その理由は、こうだ。
「一定の節目を越えた」
これに対し、官房長官会見で記者から「記者会見を行わないことで、復興に対する政府の姿勢が後退したと受け止められないか」との疑問も呈されたが、しかし菅義偉官房長官は「それはまったくない」とそっけなく答えただけだった。そしてこの年、実際に安倍首相の会見は開かれることはなかった。
だいたい「一定の節目を超えた」という言葉が出ることじたい、現実を直視しない、被災地と被災者切り捨てに他ならない。2017年は未だ12万人を超える人が避難生活を送り、約3万4000人が仮設住宅で生活していた時期だ。さらに被災地では人手不足に加え、東京五輪関連の建設ラッシュのせいで工事費が高騰し被災地での公共工事の入札不調が相次ぐなど、五輪優先で復興の遅れが指摘されてもいた。そして福島第一原発事故で、撒き散らされた放射能の除染も進まないなか、その危険性を無視し、徐々に避難指示を解除した時期とも重なる。
つまり、政権にとって“お荷物”となった震災や原発事故の被災者たちを、たった5年で一区切りとすることで、切り捨てた。震災の風化などと言うが、それは政権が推し進めた、あまりに身勝手な自己都合の産物なのだ。