たとえば〈米国じゃキャバ嬢だけど〉という書き出し。その後の文脈からして、はすみが“キャバ嬢=男性に接待して対価を得る女性”というニュアンスで持ちだしてきているのは明らかで、「ジャーナリスト」という言葉との対比のさせ方や、続く「枕営業」という言葉からも職業蔑視的に使っていることは間違いない。だいたい「キャバ嬢」だったらなんなのかとしか言いようがないが、実のところ、この記述は完全に山口氏の言い回しと同じなのだ。
詩織さんの著書『Black Box』ではこう記されている。2013年、ニューヨークの大学でジャーナリズムと写真を学んでいた彼女は、〈翌年の卒業直前にインターシップを体験し、ニュースの現場で働きたいと考えていた〉。詩織さんは、親からの援助をほとんど受けておらず、〈翻訳、ベビーシッターとピアノバーでのバイト〉をしており、山口氏と出会ったのはその「ピアノバー」だったという。ところが山口氏は「Hanada」での手記で「ピアノバー」という言葉を一切使わずにこう書いた。
〈私があなたに初めて会った時、あなたはキャバクラ嬢でしたね。二〇一三年九月、国連総会の取材でニューヨークに滞在していた時に、知人の記者に連れられて行った日本人相手のキャバクラで、キャバクラ嬢として私の隣に座ったのがあなたでした。〉
見ての通り、詩織さんが「キャバクラ嬢」であると主張・強調するやり方は、はすみと山口氏とで共通のものである。はすみが山口氏の“反論”をなぞっているのは間違いない。
さらに決定的なのは、イラストで詩織さんを模した女性が着用している「山口」と書かれたTシャツだ。
実は、山口氏が「Hanada」での“反論”のなかで、“レイプされたという認識の反証”として取り上げたのがTシャツの存在だった。山口氏は〈もしあなたが朝の段階で私にレイプされたと思っていたのであれば、絶対にしないはずの行動をし、絶対にしたはずの行動をしていない〉と前置いて、こう持論を展開している。
〈朝起きてトイレから戻ってきたあなたは、浴室に干されていたブラウスを手に、
「ブラウスが少し生乾きなんだけど、Tシャツみたいなものをお借りできませんか」〉
〈(前略)私としては別に断る理由もなかったので、パッキング途中のスーツケースを指し、
「そのなかの、好きなものを選んで着ていっていいですよ」
と言いましたね。あなたはスーツケースから、私のTシャツのうちの一つを選び、その場で素肌に身に着けました。覚えていないとは言わせません。レイプの被害に遭ったと思っている女性が、まさにレイプされた翌朝、レイプ犯のTシャツを地肌に進んで身につけるようなことがあるのでしょうか?〉
〈結局、私はそのTシャツを未だに返してもらっていません。そのTシャツの存在を認めると、自分の主張の辻褄が合わなくなるからですか?〉(「Hanada」)
見ての通り、山口氏は詩織さんに貸したというTシャツの存在が、あたかも強かん事実の反証であるかのようにあげつらっている。しかし実際には、詩織さんは「Tシャツの存在」を認めていないどころか、『Black Box』のなかでしっかり触れているのだ。
詩織さんによれば、一刻も早く部屋の外に出なければならないと思っていた彼女は、ブラウスを見つけるが〈びしょ濡れ〉であり、〈なぜ濡れているのか聞くと、山口氏は「これを着て」とTシャツを差し出した〉。そして〈他に着るものがなく、反射的にそれを身につけた〉。つまり仕方なく差し出されたTシャツを着たわけだが、さらに詩織さんは都内に借りていた部屋に戻ると、〈真っ先に服を脱いで、山口氏に借りたTシャツはゴミ箱へ叩き込んだ〉と書いている。
つまりTシャツの存在は、明らかに山口氏が言うような“レイプされたという認識の反証”になりようがない。言うまでもないが、半裸の状態で衣類を求めるのは当然の行動だ。それとも山口氏は、詩織さんは服を着ていない状態で部屋から飛び出せばよかったのだ、とでも言うのか。