しかし、一方の日本はどうだろう。この状況で韓国側に「五輪が終わったら米韓軍事演習を実施しろ」と迫った安倍首相。韓国の歴史をふりかえるパートで、「外国からの度重なる侵略など苦難にさらされてきた韓国」とまるで他人事のように解説したNHKの中継。そのNHKを「反日」と攻撃し、プロジェクションマッピングを使っていたというだけで「リオ五輪閉会式の東京のプレゼンテーションのパクリだ」とがなりたてるネトウヨ……それこそ日本のことしか考えず、日本でしか通用しない主張をがなりたてる内向きなグロテスクさには辟易とさせられる。
さらにもうひとつ、この開会式を見ていて、改めて不安になったのが、2020年の東京五輪のことだ。昨年末、東京五輪の開会式・閉会式の演出チームが発表されたが、リオ五輪にひき続きの椎名林檎らに加え、山崎貴、川村元気、野村萬斎というなんともドメスティックな顔ぶれ。しかも、産経新聞などによると、構成とストーリーはあの山崎貴が担当するというのだ。
山崎貴といっても、普通の人はピンとこないだろうが、映画『永遠の0』や『ALWAYS 三丁目の夕日』の監督。作品はいずれもヒットしているが、映画監督としての評価は「CGの使い方がうまいだけで、演出は凡庸だし、物語のつくりかたも陳腐。まあそれが気楽に観れて、大衆受けする理由かもしれませんが」(映画評論家)と、けっして高くない。
当然、海外の知名度もほとんどない。アメリカでもヨーロッパでもアジアでもいいが、海外の劇場の前で映画ファンに「タカシヤマザキって知ってる?」と聞いてみたらいい。かけてもいいが、ほとんどの人は「だれ、それ」と答えるはずだ。
五輪の開会式・閉会式といえば、たとえば北京ではチャン・イーモウ、ロンドンではダニー・ボイル、リオではフェルナンド・メイレレスが、それぞれ演出を務めた。国際的な映画賞を受賞するなど世界的な評価も知名度も高く、日本人でも知っている監督ばかりだ。
冬季は夏季ほどビッグネームではないが、それでも、今回の平昌のように、世界に通用するということを意識して演出家を選んでいる。
それに比べて、東京五輪はこんな国際性のない内向きの人選でいいのか。『紅いコーリャン』『トレインスポッティング』『シティ・オブ・ゴッド』ときて、『永遠の0』。『初恋のきた道』『スラムドッグ$ミリオネア』『ブラインドネス』だったのに、『ALWAYS 三丁目の夕日』、これで本当に恥ずかしくないのか。
いや、国際性がないどころの話ではない。山崎は周知のように、あの百田尚樹原作の特攻礼賛愛国ポルノ映画『永遠の0』を監督した人物なのだ。いまはまだ話題になっていないが、東京五輪が近づいてもしその事実が知れ渡ったら、世界中の顰蹙を買う可能性だってある。
実際、少し前、南九州市が神風特攻隊を世界遺産に申請しようとした際、「日本は世界的には“狂った自爆行為”ととられている“神風特攻隊”を“国に命をささげた英雄”としている」と海外メディアから批判された。“特攻”を美化する映画の監督が、世界的イベントであるオリンピックの開会式・閉会式の演出を務めるなど、どう考えても正気の沙汰ではないだろう。
こういうと、「山崎監督には政治性はない。『永遠の0』も原作やテレビドラマ版にあった攻撃的な描写や政治的主張はすべてカット。誰もが感動できるエンタテインメント作品に仕上げていた」などという反論が返ってくるが、山崎作品はむしろヤバい部分や政治的な部分を脱臭しているからこそ問題なのだ。思想的偏向が前面に出ている百田尚樹よりもひろがりがあるぶん、悪質といえるかもしれない。