作者の田亀氏は『ゲイ・カルチャーの未来へ』(Pヴァイン)のなかで〈自分でも気づかないうちに無自覚に踏襲してしまっている差別やホモフォビアに対して、一度みんなで考えてみましょう、ということをやってみたかったんです〉と綴り、これは『弟の夫』で描きたかった題材であるとしている。
田亀氏がそのように描いたのは、自身もゲイとしてこの国で生きてきたなかで、「無自覚な差別」こそが、日本的な差別のあり方であると感じているからだ。
〈日本社会というのはああいうものだと思っているからです。たとえばヘイターが実際にいたら、表立って闘えばいいから対処は簡単なんですよ。それより難しいのは、無自覚な偏見に囚われている層なんです。そういう人たちというのは、差別が良くないということはわかっているし、自分が差別的ではありたくないと思っている。つまり自分は差別していないという前提があるから、なおさら「それはじつは差別的なんだよ」という風に指摘されると、ものすごく抵抗するんですよ。それはもう意固地になるくらいに。私は自分の生活で、そうした例を実際によく見ています〉(前掲『ゲイ・カルチャーの未来へ』より)
また、『弟の夫』という作品が素晴らしいのは、物語の主題は確かに同性愛や同性婚をめぐる問題であるものの、作品としての結論は「家族のあり方とは?」という、LGBTの当事者以外にも共通する非常に普遍的なものになっているという点だ。
実際、それは制作当初から念頭に置かれていたものであったようで、前掲『ゲイ・カルチャーの未来へ』では〈これはどういう話なのだろう、と制作のはじめの段階で編集さんと話し合ったときから、これは家族の物語だろうということはわかっていました〉と綴られている。
そういった「家族の物語」であることの象徴は、弥一と夏菜の父子家庭をめぐるエピソードだろう。
弥一がシングルファーザーとして夏菜を育てているのは先に述べた通りだが、物語の途中から夏菜の母である夏樹(ドラマでは中村ゆりが演じる)が登場する。弥一と夏樹は離婚し、現在では仕事の手が空いているときに夏樹が弥一と夏菜の家を訪れる生活になっている。
そんなある日、両親とマイクの4人で夕食を囲んだ夏菜は、とても嬉しそうにしながら「パパもママもマイクもいて今日は最高!」「ずーっとこうならいいのに!」とつぶやく。その言葉を聞いて夏樹は「やっぱりあの歳だとまだ…母親が必要なのかな」と思い悩むのだが、そこで弥一はこのように決意を語るのである。
「『お母さんがいないからかわいそう』『片親だけでかわいそう』『親がいないからかわいそう』、そんな考え方には、俺は絶対与したくない。淋しがらせることもあるかもしれないけど、それでも俺は夏菜を幸せにしてみせる。『これが正しい家族の形だ。それ以外はかわいそうだ』、そんなのって差別的だよ」(引用者の判断で漫画のコマに括弧と句読点のみ付け加えた)