天皇はこうした安倍首相の仕打ちに対してどう考えているのか。先日、本サイトは「週刊新潮」(新潮社)の記事が宮内庁から激しい抗議を受けた一件を紹介したが、そのタイトルは「「安倍官邸」に御恨み骨髄「天皇陛下」が「心残りは韓国…」」。記事では侍従職関係者のこんなコメントが掲載されていた。
「陛下は喜怒哀楽の感情を表に出すことを決してされないのですが、それでも安倍さんには御恨み骨髄、という表現がぴったりくるのではないでしょうか。これだけ陛下の思いをないがしろにした首相は前代未聞だと言えます」
しかし、宮内庁が激しい調子で「事実でない」と抗議したのは、この記事に掲載されていた「天皇が生前退位でパレードを望んでいる」という政府関係者のコメントのみで、タイトルや、天皇がないがしろされているというコメントに対しては一切抗議をおこなっていなかった。
この一事をもってしても、天皇が安倍首相のやり口に怒りをもっていることは明らかだろう。
明日23日には、天皇の誕生日会見の模様が一斉に報じられる。2013年の誕生日会見で「戦後、連合国軍の占領下にあった日本は、平和と民主主義を、守るべき大切なものとして、日本国憲法を作り、様々な改革を行って、今日の日本を築きました」という“護憲発言”を口にして以降、警戒心をあらわにした安倍官邸は宮内庁に対しての締め付けを陰に陽に強めていき、天皇は安倍首相の歴史観や憲法観と対峙するような発言を自重せざるをえなかったと言われる。
昨年も、生前退位をめぐる官邸との攻防のさなかにあって、結局、憲法や平和主義に関して踏み込んだ発言を一切することができなかった。
だが、生前退位が法整備などで一段落ついた今年ならどうか。残り2回となった「天皇誕生日」だからこそ、これまでになかった発言が飛び出す可能性はゼロではない。
繰り返すが、「平成天皇」という名と同時に振り返られるはずの一時代は、日本が近代化以降、初めて直接的に戦争をしなかった期間である。仮に、その時代精神を祝日として位置付けるならば、国民が天皇個人の誕生をではなく、戦争を憎み平和を希求する大きな理念の誕生を、あらためて祝う日として定めるのがふさわしかろう。間違っても、かの時代を美化する目的で葬られてよいものではない。
(宮島みつや)
最終更新:2017.12.22 10:07