これは実際に起きた出来事なのだろうか? 野暮な小説の読み方なのかもしれないが、どうしてもそんな邪推をせずにはいられない。
さらにもうひとつ、二人の関係を想像するうえで重要なシーンがある。それは、中学時代の夏子が学校でのいじめを月島に相談する場面だ。
小学校のときから周囲の女の子とうまく関係をつくることができず、継続的にいじめを受けてきた夏子。上履きを隠されたり、イスに画鋲が置いてあったり、机の引き出しのなかに「SHINEBAIINONI」と書かれたメモ書きを入れられていたと書かれている。そんな夏子はちょっとしたきっかけから、どうしても周囲の子どもとなじめなかった苦しみを月島に打ち明けるのだが、そこで彼から返ってきたのは、「そう? 俺は分かるけどね」、「だってなっちゃんって、生意気でむかつくもん」という思いがけない言葉だった。
夏子が受けていたと書かれているこれらのいじめは、Saoriが学生時代に受けた実体験とほとんど同じである。彼女はインタビュー集『SEKAI NO OWARI 世界の終わり』(ロッキング・オン)でそれらのいじめ体験と、そのいじめの苦しみを打ち明けられたFukaseの反応を打ち明けているのだが、それはまさしく『ふたご』における月島と同じだった。『SEKAI NO OWARI 世界の終わり』によれば、Saoriのいじめへの悩みに対してFukaseはこのような言葉を返したという。
「おまえ、それはいじめられるよ」
「いじめられる側にも原因があると思う」
いじめの責任をいじめられる側に求めるこのFukaseの発言については、本サイトも含め、ネットでも批判の声が上がったが、この一言が夏子が月島に依存するようになった大きな契機となったようにも読める。
実際のSaoriとFukaseが、小説内の夏子と月島そのままとは思わないがが、前述『SEKAI NO OWARI 世界の終わり』では、「(Fukaseと)会った瞬間に、この人とはずっと一緒にいると思った。それが絶対に忘れられない」「今日から世界が変わるって本気で思った」と話している。少なくともある時期、SaoriがFukaseに依存し、まるで教祖と信者のようにその精神を支配されていたことはたしかだろう。
しかし、今回の小説で、ここまでふたりの関係を客観的にリアルに描写できたというのは、彼女がいま、その歪な依存関係を乗り越え、Fukaseと新しい関係を築き上げつつあるという証なのではないか。そういう意味では、Saoriのこれからのアーティスト活動、『ふたご』出版後のSEKAI NO OWARIの変化が非常に楽しみになってくるのだ。
(新田 樹)
最終更新:2017.12.20 08:51