小説のなかでは、そういった月島の行動に嫉妬の感情をもちつつも、それを糾弾する権利が自分にはないことに対する夏子の煩悶が繰り返し描かれている。
それは、月島がバンド活動を本格的に始める段階になっても変わらない。月島はピアノ奏者として夏子をバンドに引き入れようとするのだが、彼女はその誘いに対し即座に首を縦に振ることができない。そこにはこんな思いがあるからだった。
〈バンドメンバーになる。それは月島との関係において、何よりもまずバンドを最優先させなければいけないという意味だ。私はもう女として悩むことすら許されなくなってしまうのかもしれない。女として月島のそばにいたいと密かに願うことすら出来なくなってしまうかもしれない〉
この小説の後半は、月島の指示で自らも作詞と作曲に乗り出すことになるも、どうしても良い曲をつくることができず悩み苦しむ夏子の様子が描かれる。あまりの苦しみに精神を病んでしまい、病院でうつ病治療の薬を出してもらってまで夏子は曲づくりに挑戦し続ける。バンド活動自体を諦めて楽になる選択肢も頭には浮かぶのだが、それをしてしまえば月島と一緒にいることができなくなってしまうことが恐怖で、それゆえに不眠不休で頑張り続ける。
恋というよりも「共依存」といったほうが近い状況だが、小説の題名である「ふたご」は、夏子と月島のそうした関係を表す言葉なのだろう。
実際、小説には、その依存関係を象徴する衝撃的なシーンも描かれている。その象徴的なシーンが、月島が夏子に暴力を振るい、カッターをつき立てるくだりである。
Fukaseがアメリカ留学中にパニック障害に陥り、帰国して精神病院に入院したというバンド結成前史はファンなら誰もが知っているエピソードだが、『ふたご』の月島も同じようにアメリカ留学中にパニック障害になり、日本で精神科の病院に保護入院している。
小説では、その保護入院の直前、帰国した月島が夏子の自宅を訪れるのだが、夏子の言葉にいちいちつっかかり、夏子に馬乗りになり、首筋にカッターナイフを当てるシーンまで出てくる。
〈「う、る、さ、い」
彼はそのひと文字ずつを発音しながら、カッターを四回首に押し当てた。カッターの刃先は、もう体温でぬるくなっている〉