そう考えてみても、今回の「週刊新潮」の“皇后はトランプとの会見に難色を示していた”との報道は、単に宮内庁周りで聞かれる“噂”のレベルを超えた信憑性がある。しかも、記事にあるように皇后が「陛下をトランプさんに会わせてもいいものか」と周囲に漏らしていたとすれば、これは安倍政権が軍事一体化と言えるほど進めている日米関係の強化に、皇室が政治利用されることを憂慮したとしか思えない。あるいは、その挑発的なトランプにベタベタの安倍首相に対して、皇后は軽蔑にも似た感情を抱いているのではないか。そう言ったら穿ち過ぎだろうか。
もっとも、皇族はその憲法的立場から、たとえば「私はトランプさんとは会うべきでないと考えるから面会を辞退したい」というような、政治の決定を覆す発言は公にできないし、民意による皇室制度の変更がない限り、それはなされるべきではない。だが一方で、皇后は天皇とともに、自身に課せられた制約のなかで、政権の憲法破壊や平和主義の逆行に釘をさしてきたのも事実だ。
たとえば、皇后が天皇とともに、安倍政権による改憲へ強い危機感を持っていることは誰の目にも明らかだろう。実際、美智子皇后は2013年の誕生日に際した文章談話でも、〈5月の憲法記念日をはさみ、今年は憲法をめぐり、例年に増して盛んな論議が取り交わされていたように感じます〉としたうえで、五日市憲法草案などの民間憲法案に言及。〈基本的人権の尊重や教育の自由の保障及び教育を受ける義務、法の下の平等、更に言論の自由、信教の自由など、204条が書かれており、地方自治権等についても記されています〉と日本国憲法と同様の理念をもった民間憲法が日本でもつくられていたことを強調し、〈深い感銘を覚えたことでした〉と述べていた。
対して、こうした皇后・天皇の意思表明を、安倍政権は疎ましく思っている。実際、2014年には、安倍首相のブレーンといわれる八木秀次・麗澤大学教授が、「正論」(産経新聞社)で「憲法巡る両陛下のご発言公表への違和感」なる文章を発表。前述の通り、皇后と天皇が前年に日本国憲法を高く評価したことに対して、〈安倍内閣が進めようとしている憲法改正への懸念の表明のように国民に受け止められかねない〉〈宮内庁のマネジメントはどうなっているのか〉と猛批判した。
日本国憲法が平和主義と法の下の平等を掲げる以上、いくら憲法で制約された天皇、あるいは皇后であっても、その実現を思う気持ちを発することまで妨げるのは理にかなわないだろう。
宮内庁によれば、今上天皇はトランプとの面会のなかで、「現在日米関係はかつてなく良好です」と言い、「両国はかつて戦争した歴史がありますが、その後の日米の友好関係、米国からの支援により今日の日本があるのだと思います」と述べたという。「現在の日米関係」だけでなく、地続きにある「戦争の歴史」に言及したのは、「戦争は絶対にやめてください」というメッセージだと考えることもできる。
日本が民主化されて初の天皇と皇后だ。少なくとも、その「役割」の終幕が、日本の民主主義・平和主義の終焉と重なってしまうことだけは、なんとしても避けねばならない。
(編集部)
最終更新:2017.12.22 12:03