実際、不二阿祖山太神宮は月刊オカルト雑誌「ムー」(学研プラス)でも何度か取り上げられているのだが、たとえば同誌14年6月号ではその“由緒”についてこんな解説が展開されている。
〈なんとこの神社は、『富士古文献』に登場する、かつて富士山麓で繁栄したという超古代王朝の神都に鎮座していた巨大パンテオン「阿祖山太神宮」を、平成の現代に復興させたものなのだ〉
「超古代王朝」って!?と思わず突っ込んでしまいたくなるが、「ムー」によると、『富士古文献』とは富士吉田の旧家・宮下家に保存されていた膨大な古文書群の総称で、『宮下文書』あるいは『富士文庫』などと呼ばれるものらしい。
だが、一応言っておくと、『宮下文書』(『富士古文献』)なる代物には神武天皇以前の日本列島に「富士王朝」なる「超古代文明」が栄えていたとの記述があるとされているが、当然、歴史学や考古学の常識からかけ離れており(そもそも神武天皇自体が架空の神話的存在である)、後の人がつくりだした偽書=ファンタジーに過ぎない。
ところが、前述の「FUJISAN地球フェスタ“WA”」を仕切る渡邉氏は、そのファンタジーを大真面目に信じているらしく、「ムー」の取材にも写真入りで応じている。
それによれば、渡邉氏は、2004年頃に富士吉田の土地を取得し、そこでシイタケの原木栽培などを行うつもりだったが、その翌年、大切なシイタケの原木が大量に盗まれてしまったのだという。しかし、渡邉氏は逆に、盗まれたシイタケの原木が「108本」だったことに着目。仏教の煩悩の数・108と同じであることに〈何か意味がある〉と思い、〈もしかすると、自分が何か間違った行動をとっていることを、仏あるいは神が告げているのではないか──〉と考えた。
そして、若い頃から例の『富士古文献』に関心を抱いていたという渡邉氏は、〈つまり、シイタケの原木栽培用地は、じつは、富士超古代王朝の栄光の記憶をとどめる超弩級の聖地・富士高天原だった──〉というふうに思い、他諸々の理由(冗長なので興味があれば「ムー」を読んでもらいたい)と合わせて、〈自身が取得した土地が不二阿祖山太神宮の故地であると確信、そしてこの地に太古の神宮を再建することを決意したのだ〉という。
うーん……。スピリチュアルやオカルト界隈では、なんでもない偶然に“符牒”を見出し、伝説や偽史とこじつけ、「世界の真実」や「使命」に「覚醒」するというのが定番のパターン。「ムー」を読む限り、渡邉氏もその典型例のように思えてならない。例の「FUJISAN地球フェスタ“WA”」がやたら富士山推しなのも、ようするに、「超古代文明・富士王朝」の伝説にあやかっている渡邉氏の意向がかなり大きいだろうことは、想像に難くない。
しかし、問題は、昭恵夫人がこのオカルト宗教家が率いるイベントに関与し、多数の省庁が後援をしているという事実だ。