しかも、これは“放言癖”のある麻生副総理が、講演のなかでたまたま不用意な発言をしたとかいう話ではない。事実、この元総理大臣は、以前から国会でも何度も難民などを一方的に危険視するアジテーションを繰り返してきた。
「難民は武装している可能性も覚悟しておかないかぬ」(16年2月23日衆院財務金融員会)
「偽装難民でないという保証は、きちんとした調査というものをした上でないとなかなか難しい」(07年6月8日衆院外務委員会)
「日本に亡命する人が、その人がスパイでないという保証はありません」(07年6月4日北朝鮮による拉致問題等に関する特別委員会)
「本当の難民と、いわゆる、正確には便衣隊というんですけれども、兵隊さんが私服を着て紛れ込むのを便衣というんですが、その便衣隊等々の者が紛れ込んでいる可能性というのはこれは排除できませんので、そういったものを含めて、これは、日本の中において新たなテロを画策する人が拡散するということを断固避けるというのは当然のこと」(06年10月27日衆院外務委員会)
もういちど言うが、こうした麻生副総理の答弁は「難民」=「偽装したテロリスト」という悪質な刷り込みにほかならない。では聞くが、たとえば海やプールで溺れそうな人がいるとき、その人物が「ナイフや銃を持っているかもしれない」という理由で見殺しにすべきとでもいうのか。これは極端なたとえ話ではない。麻生の理屈はそういうレベルなのだ。
なぜ「難民」の話をするのに、「武装」という必然性のない仮定をわざわざもち出すのか。ようするに、本来なんの関係もないはずの「難民」と「武装」をわざわざ結びつけていること自体が、麻生副総理の差別意識の表出にほかならない。
だいたい、もしも難民のなかに武器を持った者がいたとしても、普通に武装を解除させれば済む話である。仮に「難民に紛れた武装勢力」が発砲や破壊行為を行なったとしたら、日本の警察権の範囲で通常通りに対応すればよい。「難民はテロリストや便衣兵かもしれない」なる発想に至っては実に噴飯モノだ。そんなことを言い出したら、原理的には「麻生太郎や安倍晋三も『テロリスト』になる可能性がゼロではないから国外追放すべき」というような無茶苦茶な論理もまた通用してしまうだろう。馬鹿げている。
結局のところ、安倍政権の重要人物である麻生副総理の「武装難民は射殺」発言からわかるのは、この政権が極めて国際感覚に欠けているというだけでなく、その本質が、救うべき弱者を異質な存在として敵視し、むしろ差別や偏見を助長するものに他ならないということだ。
思い起こされるのは1923年、関東大震災での朝鮮人虐殺である。「朝鮮人が暴動を起こした」「井戸に毒を入れた」などといったヘイトデマにより、日本人は無辜の朝鮮人らを大勢殺してまわった。このデマの拡散には、当時の警察や軍など政府当局が関与していた。メディアが「武装難民は射殺」発言に対し、徹底して批判や追及をしないのならば、朝鮮人虐殺のようなヘイトクライムの再現を座して待っているのと同じだ。そのことをゆめゆめ忘れてはならない。
(小杉みすず)
最終更新:2017.09.26 02:09