つまり、日韓請求権協定における請求権放棄は、政府が、国民の有す請求権のために発動できる外交保護権の行使を放棄しただけであって、当たり前だが、個人の請求権を政府が禁じることはできない、すなわち、個々人の請求権は日韓請求権協定後も存続している。そのうえで、あとは司法の判断になる。これが日本政府のオフィシャルな見解だったわけだ。
これは、実態としてもそうなっている。たとえば、1995年には、日本の植民地支配下で広島の三菱重工に強制動員された韓国人5人が広島地裁に、1997年には2人が新日鉄住金などを相手に大阪地裁に訴えを起こした。最終的にどちらも敗訴したが、訴えじたいは受理されている。
一方、韓国では、2012年、韓国の最高裁が“原告らの損害賠償請求権は日韓請求権協定で消滅していない”という判断を下した後、元徴用工や元挺身隊員が日本企業に損害賠償を求めた訴訟で、高裁や地裁が日本企業側に賠償を命じる判決を出すようになった。
司法の判断は日韓で真っ二つに割れているが、個人請求権そのものが消滅しておらず、最終的には司法が判断するという原則は一致している。
そして、今回、文大統領もたんにその事実を述べただけで、国家として新たな損害賠償を要求したわけではない。なぜ、こんな程度の発言で、日本政府、そして右から左までのマスコミが「嘘つきだ」「日韓関係を壊すものだ」などとわめきたてるのか。
実は、この過剰反応の背景には、経済界の強い意向があるといわれている。前述した2012年の韓国の最高裁判断以降、韓国で日本企業に損害賠償を命じる判決が次々出されたが、これに危機感を感じたのが、訴訟対象になった三菱重工や新日鉄住金などの日本経済の基幹企業だった。
2013年、経団連など経済4団体が韓国の判決について「今後の韓国への投資やビジネスを進める上での障害となりかねず、良好な両国経済関係を損ないかねないものと深く憂慮する」と韓国に抗議する声明を出したが、このとき、経団連は日本政府やマスコミに対しても、強い働きかけを行っており、その結果、政府もマスコミも一斉に、韓国の司法判断に異議を唱えたという経緯がある。
つまり、今回の過剰反応もこの延長線上で出てきたということなのだろう。政府は支援団体、企業の利害のために、マスコミはスポンサー様の意向を代弁して、今回も文大統領を強く非難してみせた。そういうことではないのか。