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仲代達矢と桂歌丸が語った戦争体験が話題!「戦争を知らない政治家が戦争に触れるな」

左・「無名塾 Official Website」より/右・「落語芸術協会」協会員プロフィールより


 今年で終戦から72年。実際に戦争を体験した世代が次々と鬼籍に入り、戦争の恐ろしさを語り継ぐ人がいなくなるのと入れ違うように、安倍首相をはじめとした極右政治家による憲法改正論議がかまびすしくなってきているという悲嘆すべき状況がある。

 そんななか、今月5日『報道特集』(TBS)で放送された仲代達矢と桂歌丸のインタビューが話題を呼んでいる。この日の『報道特集』では、「戦争と憲法」と題し、実際に戦争を体験した人の証言を踏まえたうえで、日本国憲法が人々にどのように受け止められてきたのかを振り返っていた。

 番組の前半、当時を知る人々へインタビューしていくパートで登場したのが仲代達矢と桂歌丸。そのなかで語られる戦争体験は凄まじい。1932年に生まれ東京に住んでいた仲代達矢は、戦争末期の東京においては死体を街中で見かけることすらもはや日常の一コマであったと語る。

「まあ凄まじいもんで、新宿あたりへ空襲の後に行きますと、黒こげになった死体が何百と死んでるわけですから、それを通り越して中学へ行ったもんです」

 そして、仲代自身もまた空襲に遭い九死に一生を得る壮絶な体験をした。それは、1945年5月25日の夜、友だちに会うために青山通りを歩いているときのことだった。

「徒歩で行く途中に空襲警報が鳴りまして、焼夷弾がバラバラ落ちてきて、これはいかんと思って逃げ回っているときに、まだ小学生でもないような女の子がひとり逃げているんですね。全然知らない子ですけど、その子の手を握って逃げ回っていたら急に手が軽くなったんですね。で、見たら、焼夷弾が彼女に直撃して、私はその腕だけ持っていたと。自分もやられたかなと思ったんですけど、かろうじて私に当たらないでその女の子に当たって、その手だけ握ってたんですね。恐怖のあまりにその手を捨てて逃げてしまったんですけど、その手を捨ててしまったことを私はいまだ後悔しております」

 これは「山の手大空襲」と呼ばれる東京大空襲後の大規模空襲で、渋谷、表参道、赤坂などを標的に6000トン以上の焼夷弾が投下され、2万2000人の死傷者を出している。彼はこの空襲を生き延びた。

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