安倍首相が「人づくり」なる言葉にこだわるのは、“お友だち”日本会議の影響なのか。あるいは、池田勇人のモノマネなのか。
しかし実はどちらにしても、その本質には変わりがない。日本会議の「人づくり」はいまさら言うまでもないが、池田の「人づくり」もまた、当時、そのネーミングと背景にあるグロテスクな考え方を徹底的に批判されていたからだ。
20年の長きにわたって神奈川県知事を務めたことで知られる、経済学者で教育者の長洲一二は、1962年の「中央公論」10月号で、池田の「人づくり」のバッドセンスをこう批判している。
〈池田さんはキャッチ・フレーズがお好きだが、率直に言って、“人づくり”は感心できない。(略)“人づくり”は、“大国”の総理が国民に示す民族的標語としては、どうにも趣味がよくないように思われる。まして“金づくり”などと並べて出されては、国民的使命感を触発されるような気分には、どうもなりにくい。〉(所収『戦後日本思想体系』第11巻/筑摩書房)
長洲の話からは、当時の社会の率直な反応もうかがえる。
〈現に早速、新聞にも、その英語訳を“マネー・ビル”にならって“モラル・ビル”とでもするかといった冗談話が出るし、ねんど細工をしている子どもに「人づくりよ」と言わせる漫画も載るといった始末である。俗受けの政治的効果が狙いなのだと言われればそれまでである。〉(前掲書)
長洲が、試しに「一体、“人づくり”とは何だと思うか」と身近な人たちに聞いてみると、皆こんな答えを返したという。
〈中学三年の子どもをもつ母親は「人づくりよりまず学校づくり」と切実な声だった。「人づくり、大賛成。まず政治家からやってもらおう」という手きびしい答えもあった。私の尊敬するM先生は皮肉たっぷりに、「君、なつかしいことばだな。人づくりは、“産めよ、ふやせよ”、金づくりは“インフレ”、国づくりは“領土拡張”か」〉