だが、もう少し調べてみると、この「人づくり」なる言葉は、日本会議人脈の専売特許ではなく、もっと以前に内閣のスローガンとして使われていた。それは、安倍首相の祖父・岸信介内閣の後を継いだ池田勇人内閣だ。池田政権といえば経済を最優先させた「国民所得倍増計画」が有名だが、1962年には新政策として「人づくり」構想をぶち上げている。当時の国会演説から引いておこう。
「私は、これらの施策(引用者注釈:所得倍増計画と池田外交)が着実にその成果を上げつつあることを確信し、今後におきましても、との方向に一段の努力をいたすとともに、さらに歩を進めて、文教の高揚とその刷新に努め、国づくりの根本たる人づくりに全力を尽くす決意であるのであります。
(中略)
なかんずく、青少年の育成については、徳性を涵養し、祖国を愛する心情を養い、時代の進運に必要な知識と技術とを身につけ、わが国の繁栄と世界平和の増進に寄与し得る、よりりっぱな日本人をつくり上げることを眼目とする考えであるのであります」(62年8月、所信表明演説)
池田はこの年、有識者を招いた諮問会議「人づくり懇談会」を設置。翌63年1月の施政方針演説では「人づくり」政策の内容や目的について、より具体的に述べている。
「人つくりについて申し上げます。人つくりは、国づくりの根幹であります。輝かしい歴史を生み出すものは、世界的な視野に立ち、活発な創造力と旺盛な責任感を持った国民であります。国民の持てる資質を最高度に開発し、それを十二分に発揮することは民族発展の基礎であり、その発展を通じて世界人類に寄与するゆえんでもあります」
また、その際に「人づくり」政策の中心として「青少年の教育に関わる指導者、教育者の自覚を促し、その資質の向上をはかるとともに、道徳教育の充実、科学技術教育の振興(以下略)」の実行などをあげた。
池田の「人づくり」とは、教育勅語に代わって愛国心や公共心を植え付ける道徳教育の推進、科学技術教育などの「産業界発展に寄与できる教育」の振興の両輪からなっており、背景には、保守派からの突き上げと、経済成長を支える人材を求める産業界の要請、そして1964年に開催される東京五輪で海外の人々を迎えるための公共心涵養の必要性があったといわれている。
そういう意味では、愛国教育の一方で、新自由主義的な人材教育に猛進し、3年後に東京五輪を控える安倍首相の姿は、当時の池田とかなり重なっているように見える。