宮藤官九郎初めての社会派ドラマとして話題の『ゆとりですがなにか』(日本テレビ)に出演中の岡田将生は、4月17日放送の『行列のできる法律相談所』(同)でこう吠えた。
『ゆとりですがなにか』は、ゆとり第一世代にあたる1987年生まれの坂間正和(岡田将生)、山路一豊(松坂桃李)、道上まりぶ(柳楽優弥)の3人が、「ゆとり」世代ゆえの生きにくさに悩み苦しむながらも成長していく青春群像劇。
就職活動の時期にリーマンショックが起こり、苦労して内定をつかみ取った就職先だったが、入社してすぐに3.11が起きて大混乱に──。そんな彼らは他の世代と比べても苦労を重ねた年代のはずなのに、「ゆとり」という不名誉なレッテルを貼られ、会社では上司からことあるごとに「これだから「ゆとり」は……」と愚痴を言われる。『ゆとりですがなにか』は、「ゆとり世代」と呼ばれる若者たちが抱えるこのような「納得のいかなさ」を軸に物語が展開されていく。
しかし、なぜ彼らは「ゆとり世代」と呼ばれ、バッシングを受けることになったのか。
〈「ゆとり世代」という呼び方は正しいのでしょうか、次世代バッシングではないのでしょうか。「ゆとり」の意味を吟味しないまま、安易に使っていないでしょうか。次世代の元気がなくなるようなことをなぜ平気でするのでしょうか〉
筑波大学人間系(大学院人間総合科学研究科)准教授の佐藤博志氏は、同大学准教授の岡本智周氏との共著『「ゆとり」批判はどうつくられたのか 世代論を解きほぐす』(太郎次郎社エディタス)のなかで、このように綴っている。
佐藤氏の言う通り、「ゆとり」という言葉の意味をしっかりと認識して使っている人は、実はほとんどいないだろう。