「客観的事実の追求」などといってごまかしてはいるが、稲田防衛相は渡部氏と同様、自分が「東京裁判史観の克服」という目的をもっていることを完全に認めてしまっているのだ。
しかし、稲田防衛相は9日の会見で記者から寄稿内容の真意を問われて、「防衛大臣として先の大戦の認識を問われると、昨年の8月14日の総理談話で述べられている通り」「(自分を)歴史修正主義者とは思っていない」などと釈明したという(朝日新聞6月10日付)。
この期に及んでよくもまあ、そんな言い訳が強弁できるものだ。ならば、いまさらだが、この「東京裁判史観の克服」が歴史修正主義以外の何物でもなく、それを現役の防衛大臣が口にすることがいかにとんでもないかを改めて教えてあげよう。
右派論壇では当たり前のように使われる「東京裁判史観」なる用語だが、これは〈我等の戦った大東亜戦争を(1)挑発を受けざる内に先制攻撃に出、(2)その動機が交戦相手国の領土・資源の占有であったが故に「侵略戦争」であり、国家の行った犯罪行為である、と決めつけたもの〉(小堀桂一郎)とする考え方だ。つまり、極東軍事裁判を全否定し、「日本は自衛のために戦った」として戦争を正当化して、戦中日本を美化する発想そのものである。
しかも、たんに「東京裁判」ではなく後ろに「史観」がつけられるのは、東京裁判を含む日本の戦後処理の後では、「誤った歴史認識(=自虐史観)」が〈いまもって中学校や高校で教えられていて、日本中に害毒を流し続けている〉(渡部昇一)との見方をするからである。
さらに、「東京裁判史観を克服せよ」と息巻いている連中が何を主張しているかというと、「張作霖爆殺事件の首謀者は河本大作ではなくソ連特務機関の工作員だった」とか、「真珠湾攻撃は奇襲ではなくルーズベルトの罠にはめられた」とか、あるいは「南京事件は存在しない」といったもの。つまり、「東京裁判史観の克服」は歴史修正主義どころか、トンデモ陰謀論と完全にセットになっているのだ。
ようするに、稲田氏はこんなトンデモな価値観と目的をもっていることを「稲田朋美防衛大臣」の名前で表明してしまったわけである。
日本はいま、安全保障面で西側諸国と連携をとり、自衛隊も米軍や韓国軍と情報を共有し、共同訓練を行っている関係だ。ところが、その自衛隊を統括するトップが、日独伊三国同盟時代の価値観をもち、第二次世界大戦の終結に際して日本が受け入れたポツダム宣言を否定し、第二次世界大戦後の国際秩序を根本からひっくり返そうとしていることが、明らかになってしまった。これがどれだけとんでもないことで、国際社会の信用を失わせるかは、説明するまでもないだろう。