ただし、それを直接的に言葉にすると、国民からは拒否される。そこで、そういった箇所をすべて隠し、親孝行などの徳目を前面に出し、言葉を「真心」などといったソフトなものに変換して目くらましをしているのだ。
当の安倍首相の側近中の側近が、その手口を思わずもらしたことがある。憲法改正についての自民党プロジェクトチームの会合(2004年、第9回会合)で、加藤勝信一億総活躍相がこんな発言をしたのだ。
「個人・家族・コミュニティ・国という階層のなかで、日本人は国も捉えているのではないか。したがって、急に国に奉仕しろといわれても飛びすぎて、まず家族・コミュニティに奉仕をする延長線上のなかに国に対する奉仕も位置づけたほうがなじみやすいのではないか」
自民党や日本会議などの右派勢力はいま、国民を国家に奉仕させるために、まず「家族」への意識から変えさせようとしている。最近の教育勅語復活の動きや、憲法に家族条項を創設しようという動きはまさにその一環といえるだろう。
しかも、これは今から127年前に行われたやり口でもある。あのときも、日常に親しまれた「親孝行」などの徳目を利用して国民を戦争に動員させていったのだ。
最後にもう一度いっておく。インチキな訳文を使って「教育勅語は親孝行などの当たり前の道徳、いいことを書いているだけ」などと甘言を弄する連中に騙されてはならない。
「愛国は悪党の最後の逃げ場である」という言葉の正しさは、森友学園問題で醜態をさらしている自称愛国者たちが十分すぎるほど証明してくれたではないか。
(エンジョウトオル)
最終更新:2017.11.22 07:07