肩書きに関しての考えは人それぞれなわけだが、この一連の意見のやり取りを読んで見えてきたのは、「作家」という肩書き・言葉に対して人々が抱いている畏敬の念である。それはこのような言及に象徴的だ。
〈世間が認めるものが自分の肩書きだと思っていて、だから私の肩書きは「作詞家」。時々気を遣って「作詞家・作家」と書かれてることがあるけど、ひえええー勘弁してくれと思う。作家としての実績なんて何もない。たった3冊本出して時々文章書いてるくらいで作家と名乗れるほど、私は厚顔じゃない。〉(及川眠子)
〈プロ十一年目になっても「作家」と名乗るのは、なんとなく恥ずかしく、せいぜいミステリ小説家と名乗っているが、はあちゅう先生にそうした臆面や含羞なんてものがあるわけないので、作家を自称するのは当然の流れで、じつにスジが通っているとも思う。彼女が作家とは全然思っていないけれど。〉(深町秋生)
なんとなく「はあちゅう憎し」の思いが言外に含まれていて、議論が横道に逸れて行きかねない語り口なのが気になるが、それはともかく、はあちゅう自身も、こんなエピソードを引きながら「作家」という肩書きへのこだわりを語っている。
〈林真理子さんは賞をとるまで自分から作家を名乗らなかったという話が私はすごく好きで、私も「名乗ることと認められることは違う」と自分に言い聞かせてるけど、林さんにそれを言ったら、「はあちゅうさんが作家という肩書きつかって悪いことないよ、自分鼓舞する意味でもそう名乗っていけばいいよ」と言ってくれたから、私は「ブロガー・作家」を使い続けます。〉(引用者の判断で二つに分割されているツイートを一つの文章にまとめた)
これを受けてか、吉田豪はこのようにツイートしていた。
〈肩書問題は、要するに「自分はいつかこう呼ばれたい」と思ってそれを名乗る人と、そこに到達してからそれを名乗る人との違いがあるってことなんだと理解しました! 夢を肩書にして自分を追い込む人と、現実を肩書にする人の違いというか。〉
では、当の小説家自身は「作家」という言葉をどう捉えているのか? 先ほど挙げた深町は「作家」という言葉に特別な思いを抱いていたが、一方、松井計はこのように語っている。同じ小説家でも「作家」という肩書きに対する思いはそれぞれのようだ。
〈私は特に、〈作家〉という言葉に特別な意味を感じたことはないんですよね。定義に思いを馳せたこともない。現況、小説家のことを作家と呼ぶ業界の商習慣がある以上、それはパン屋とか蕎麦屋とか警察官とかと同じく職業の名前ですからね。〉
〈だってね、〈作家〉なんて敬称でもなんでもないですよ。編集者と話してると、それがはっきりと分かる。我々が編集者のことを編集者と呼ぶのと同じように、作家は作家と呼ばれるわけで。ここにあまり、妙な意味を持たせる必要はないように感じますがねえ。違うのかしら?〉
「世間が認める肩書きがその人にとっての正しい肩書き」という意見ももっともな意見だとは思うが、〈「自分はいつかこう呼ばれたい」と思ってそれを名乗る〉というのも、それはそれでアリだろう。美容師や弁護士や医者など、資格が必要なものであればそれはまた別だが。いずれにせよ、「みんな“肩書き”が気になるんだなぁ」と改めて思わされたエピソードであった。
ちなみに、辞書(「大辞泉」)で「作家」という単語を引いてみたところ〈詩や文章を書くことを職業とする人。特に,小説家〉とあった。ただ、辞書の文章は時代によって変わるものであり、それだけが正しい意味でないということは言うまでもない。また、これを言い出したら話は終わりだが、そもそも英語の「writer」は、作家も記者もコラムニストもエッセイストもすべて含んだ言葉である。
(新田 樹)
最終更新:2017.11.24 05:59