今回『ラ・ラ・ランド』で問題とされているジャズの描写について、監督自身は「キネマ旬報」(キネマ旬報社)16年11月15日号のなかでこのように語っていた。
「僕は、この映画で、ジャズに関するいろいろな側面に焦点を当ててみたつもりだ。ジャズについてある種のイメージを持っている人は、いると思う。それでジャズを避けている人も。一方、セバスチャンは黄金時代のジャズを信奉している。彼は、現状を受け入れられないでいる。今、ジャズはそういったことにも直面している。かつてアメリカで人気のジャンルだったジャズは、今、勢いを失っている。それは問題なのか? 別に問題ではないのか? ジャズは、時代に合わせて変わっていくべきなのか? オペラやバレエも、似たようなことをくぐり抜けてきたはずだよね」
これを読むと一見、セバスチャンのジャズ観と監督のジャズ観は同じもののようにも思える。しかし、実際のところは『ラ・ラ・ランド』で描かれるジャズ観が必ずしも監督自身が考えているジャズ観と一致しているわけでもないようだ。ウェブサイト『Real Sound映画部』のインタビューではこのように語っている。
「『ラ・ラ・ランド』ではライアン・ゴズリング演じるセブがジャズについていろんなことを言うが、彼が語ることに僕自身が必ずしも同意しているわけではなくて、「それは違う」と思うこともあるんだ。彼にとっては、40年代から50年代の伝統的なジャズこそが“ジャズ”であって、それ以外は認めていない。だけど、僕はそうは思わない。ジャズは動いていくものだし、時代と折り合っていかなければならない。現代とどう向き合っていくかが重要なんだ」
劇中でセバスチャンが伝統的なジャズにこだわり続けるキャラクターとして描かれるのは、「“自分が本当にやりたいこと”と“いま自分がやるべきこと”にどう折り合いをつけていくか」という普遍的な「仕事観」についての葛藤を生み出すのに効果を発揮した設定なのだが、それがジャズファンから怒りを買った。しかし、監督自身のジャズ観は映画に怒りを覚えている人たちと同じく、「ジャズは時代に合わせて変化し、動いていくべきもの」といった考えなのであった。
商業的にも批評的にも良い結果を残した『ラ・ラ・ランド』。次作はいよいよ今回取り逃した作品賞のオスカー像を期待されるものとなるはずだが、もしも次回もテーマのなかにも「ジャズ」が入るのだとすれば、今度はどんな軋轢が生まれるのか、そのあたりも気になってしまうのである。
(新田 樹)
最終更新:2017.03.04 12:48