そのように現地の状況を実際に見てきた経験は音楽にもつながる。2012年に発売されたアルバム『Stay Alive』には、浪江町をテーマに、原発が地域や家族の絆をバラバラにしてしまった悲しみを歌う「カモメ」という楽曲が収録されていた。
一方の柳美里。彼女にとって福島は母の故郷であり、もともと浅からぬ縁だったと言うが、12年3月からは南相馬市にある臨時災害事故放送局「南相馬ひばりFM」で『柳美里のふたりとひとり』という、南相馬の人々と語り合うラジオ番組を開始。16年12月になったいまでも放送は続き、番組は200回をとうに超えている。この番組はノーギャラ。それどころか、福島への交通費や宿泊費なども完全に自腹であるらしく、著書『貧乏の神様 芥川賞作家困窮生活記』(双葉社)でも書かれているように困窮状態にある彼女は、借金をしてまでも滞在費を工面していたという。そして彼女は現在、南相馬市に居を移している。
そんな2人が出会い、今回の校歌共作のきっかけとなったのが、昨年11月に出版された長渕剛のムック本『長渕剛 民衆の怒りと祈りの歌』(河出書房新社)で行われた、原発をテーマとした対談企画だった。そのなかで2人はいったいどんな対話をしていたのか?
まず長渕は、震災によってこれまで信じてきた価値観がまるっきり転倒してしまったと語る。
「僕は1956年生まれなんですけど、特に震災を機に、自分が何も知らなかったと打ちのめされた」
「戦後復興の過程で僕らを洗脳していた教育は『強い者になりなさい』『人を蹴落としてでも勝ち上がりなさい』『お金を持たなくてはいけない』というものでした。それがあの震災でストンとやられた。教育や価値観というものが根底から断ち切られてしまった。今でも実は迷っています。その恐怖がここにあるんです。だから僕は恐怖を表現に変えなくてはいけない」
柳も長渕と同じく、震災を機にこれまで自分たちがもっていた価値観に疑問を抱くようになる。そのきっかけは、南相馬の人々との触れ合いであった。
「敗戦から高度成長期にかけて、大多数の幸せと豊かさを追い求めた結果、経済至上主義に陥り、真っ当に働き、慎ましく生きていた人たちの暮らしを壊し汚してしまった──、それが原発事故です。南相馬には、儲けを二の次にして、真っ当な仕事をしている人が多い。そして、その仕事や暮らしに誇りを持っているんです」