〈清原さんは、ライターの小さな火でパイプのなかのシャブを炙り、煙を深く吸い込んだ。(略)
バカでかいテレビのなかでニュースが始まり、巨人対阪神の0B戦が11月に仙台で開催されると報じた。
部屋の空気が一気に重くなった。
「あれっ、なんだこれ? 俺、呼ばれてなぇなぁ」
清原さんは、わざと大げさに驚いてみせた。
Dと俺が静かに笑うと、清原さんは満足げな顔をして、さらにシャブを炙った〉
その後も3人はシャブ仲間として、何度か会っているが、実は小林はシャブの“売人”ではなかったという。
〈清原さんとDと3人で会うときは、Dの指示で俺は、1回につき3つか4つのシャブを用意した。俺はネタ元からシャブを1つ(1グラム)4万円で買い、Dに同じ金額で売っていた。俺は売人じゃないから、中間マージンを取らない。〉
だが、Dは清原からシャブの代金として20万円を受け取っていたが、小林が用意したシャブを、少しだけしか渡さなかった。Dに不信感を募らせた小林は、しばらく後にタブーだった清原との直接のやりとりを行う。
まだ数回しか会っていなかったことで、当初は脅されるのでは警戒していた清原だったが、 “Dの正体”について2人で長電話で盛り上がったことで、急速にその距離が近くなっていった。2人は密かにD抜きでやりとりするようになり、その距離はさらに縮んでいく。
あるときは、群馬のラブホテルで受け渡しし、清原氏が丸3日こもった部屋を後片付けた。清原は覚醒剤を炙るとき、〈ガラスパイプに入れる量が多く、しかも、ぼろぼろこぼすので1グラム買っても3〜4時間でなくなってしまう〉という、チェーンスモーカー的な使い方をするそうで、入念な片付けが必要だったのだ。またあるときは、小林が別室で待機していると、清原の部屋にホテル従業員がサインをねだりに行った、という牧歌的なハプニングもあったという。
別の日には、小林が仕事上の悩みを電話相談すると、自身の野球人生になぞらえ真摯にアドバイスしてくれた。それとともに、野球関係の裏話も話してくれるようになった。ホームランを打つときに見える景色、屈辱の送りバント、後輩・元木大介への思い、そしてファンなら記憶に残っている因縁の「ハイタッチ拒否事件」の真相まで清原は語ったという。