安倍首相は今年の広島・長崎の平和記念式典でオバマ訪問を「核兵器を使用した唯一の国の大統領が、被爆の実相に触れ、被爆者の方々の前で、核兵器のない世界を追求する、そして核を保有する国々に対して、その勇気を持とうと力強く呼びかけました」と自らの実績として大々的にアピールし、「世界の指導者や若者に被爆の悲惨な実態に触れてもらうことにより、『核兵器のない世界』に向け、努力を積み重ねてまいります」と宣言していた。それが裏では、この有様である。
しかし、それも当然だろう。安倍首相は官房副長官時代の2002年、早稲田大学で開かれた田原総一朗氏との学生向けシンポジウムで、「憲法上は原子爆弾だって問題ではないですからね、憲法上は。小型であればですね」と発言、また2006年にも「核兵器であっても、自衛のための必要最小限度にとどまれば、保有は必ずしも憲法の禁止するところではない」と答弁書に記すなど、その考えは“核の保有や核兵器の使用は認められるべき”というものなのだ。
そんな現政権下にあって、渡辺のような勇気ある発言は貴重だ。日本では昨年の新安保法案をめぐる騒乱でも明らかだったように、“芸能人”による毅然とした政治的発言に対して、それを封じ込めるような冷ややかな反応やバッシングが浴びせられる傾向が強い。「タレントのくせに」というやつだ。
だが、海外での活躍の多い渡辺は、おそらく“芸能人”が政治的発言をするのは当然であることをよくわかっているのだろう。こうした空気にまったく臆する様子はない。渡辺は昨夏の安保法案の際も、ツイッターで日本国憲法の素晴らしさと戦争反対を訴えていた。
〈一人も兵士が戦死しないで70年を過ごしてきたこの国。どんな経緯で出来た憲法であれ僕は世界に誇れると思う、戦争はしないんだと!複雑で利害が異なる隣国とも、ポケットに忍ばせた拳や石ころよりも最大の抑止力は友人であることだと思う。その為に僕は世界に友人を増やしたい。絵空事と笑われても。〉(15年8月1日)
また今年6月13日の「第7回岩谷時子賞」授賞式に出席した際には、舛添要一都知事(当時)の公私混同や著名人の不倫報道が異常なほど盛り上がっているメディア状況について「政治家の領収書や不倫の情報ばかりが錯綜しているこの国はどうなっていくんだろう。文化の担い手として、深い人間的ドラマを伝える作品を作らないと、この国はまずい」と苦言を呈している。