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今度は3歳児に暴力! 戸塚ヨットスクールの“体罰教育”を支持する石原慎太郎ら右派論客のグロテスクな狙い

 もちろん、現役政治家のなかにも“体罰肯定派”はたくさんいる。とりわけ指摘しておきたいのが、安倍内閣の前文科相である馳浩衆院議員と文科副大臣・義家弘介衆院議員だ。ともに元教員の経験があり、文科行政のツートップまで上り詰めた両人だが、過去に雑誌の対談で、「一週間に一本くらいは竹刀が折れていましたよ」(馳氏)、「いじめの指導で放課後四時間教室から(生徒を)出さなかった」(義家氏)などと過去の“体罰自慢”を披露していた(「正論」08年6月号)。

 ちなみに、義家氏に関しては実際、教育界全体における“体罰禁止の見直し”を提言した過去まである。第一次安倍政権下の06年、首相の肝いりでスタートした教育再生会議は、その第一次報告(07年1月)に「体罰の基準見直し」を盛り込んでいた。実は、その提言を行ったのが、当時、教育再生会議の担当室長だった義家氏だ。「現状では教師は毅然とした指導ができない。両手両足を縛って『戦ってください』と言うのは無責任だ」として、1948年の法務省(当時)による「生徒に対する体罰禁止」の通達の見直しを訴えていたのである。

 このように挙げていけばキリがないが、ではなぜ保守言論人や右派政治家は体罰肯定派だらけなのか。それは、彼らがもっともらしく語っている「子どもの教育のため」とか「殴ることが愛情だ」とか、そういう話ではまったくない。

 たとえばそれは、体罰肯定論の親玉的存在として長らく世論に悪影響を及ぼしてきた石原氏の自分の息子たちへの教育を見れば明らかだろう。

「週刊ポスト」12年1月13日号のなかで、プロインタビュアーの吉田豪氏から前述の『スパルタ教育』について、「戸塚さんがあれだけ叩かれたわけじゃないですか。(石原さんへの)批判も多かったんじゃないか」と聞かれ、石原氏はこんなことをポロリと漏らしているのだ。

「多かったですよ。子供は殴れと書いたから。ただ、そう書いたかもしれないけど、俺はあんまり殴ったことないんだよな(笑)」

 実際、息子の良純も後年、テレビで「うちではスパルタ親父じゃなかったですけどね」と笑いながら語っているし、それどころか、石原は息子たちをタクシーで学校に通わせていたという逸話まである。

 つまり、連中は自分の子どもには甘やかし放題で、他人の子どもにだけ「体罰」を与えろ、とわめいているのだ。これが「教育」や「愛情」のためなわけがない。

 では、なぜ彼らは体罰を叫ぶのか。それは、力のある者にひたすら従順になり、自由や権利を口にしない国民をつくりだすためだ。

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