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「人工透析患者は死ね」の長谷川豊だけじゃない、麻生、曽野ら“自己責任厨”が叫ぶ「医療費亡国論」はインチキだ

「食いたいだけ食って、飲みたいだけ飲んで糖尿になって病院に入るやつの医療費は俺たちが払っているんだから、公平じゃない」
「こいつが将来病気になったら医療費を払うのかと、無性に腹が立つときがある」(都内の会合で)

 これがこの国の副総理の発言であり、こんな暴言を吐いてなおもその座に就いていることが既におかしいのだが、総じて極右論客は、似たような持論をこれまでも展開してきた。

 たとえば、作家の曽野綾子は、複数の病気や障がいを抱えている息子をもつ野田聖子議員に対し、自著『人間にとって成熟とは何か』(幻冬舎新書)のなかで「自分の息子が、こんな高額医療を、国民の負担において受けさせてもらっていることに対する、一抹の申し訳なさ、感謝が全くない」「医療費を負担している国民への配慮が全く欠けている」と糾弾。そして、こう述べている。

「私の周囲には『どうしてそんな巨額の費用を私たちが負担するんですか』という人もいる。『野田さんの子供さんがお使いになるのは、ご病気なんですから仕方ありませんけど、ありがとうの一言もないんですね』と言った人もいた。『もしもの時は安心してください、というのは。遠慮もせずにどんどん使えということですか? そういう空気を煽るから、健康保険は破産するんですよ』という意見もあった。
 増税論が始終話題になるこの時期に、仕方ないとは思いつつ、皆、健康保険料を払うのも大変なのだ。私も後期高齢者医療制度の保険料を年額五十万円以上支払っているが。私にできる唯一のこととして、できるだけ医師にかからないようにしている」
「野田氏のように権利を使うことは当然という人ばかりが増えたから、結果として日本社会、日本経済はどうなるのだろう、という全体の見通しに欠けるのである」

 曽野にあるのは下劣な障がい者排除の思想だが、同時にこのような自己責任論には“医療費が財政を圧迫している”という「医療費亡国論」がつきまとう。実際、曽野は今年2月、「週刊ポスト」(小学館)で“高齢者は「適当な時に死ぬ義務」がある”と主張した際、“権利を「求め倒し」、医療を「使い倒し」、他人を「頼り倒す」ことは肯定されない”ということを述べている。

 高齢者や自己責任の病気で保険を使う人間のせいで、この国はそのうち医療費で破綻する──。このように差別思想は人びとを扇動するために、もっともらしく「医療費亡国論」を振りかざすのだ。だが、この「医療費亡国論」自体、疑わしいものだ。

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