列島を覆ったこの異様な空気を危ぶんでいたのが、当時の皇太子、すなわち今上天皇だった。1988年10月、皇太子は当時の藤森昭一宮内庁長官と会った際、自ら“自粛ムード”について切り出して懸念を伝え、さらに竹下登首相に対しても同じくこのように述べたという。
「国民の皆様方が(天皇)陛下のご平癒をお祈り頂いていることを大変ありがたいと思っていますが、一方、国民の皆様方の日常生活に支障をきたすことがあってはならない。これは陛下の常日ごろのお気持ちであり、私としても気にしています」(毎日新聞88年10月9日付朝刊)
おそらく、今回の「お気持ち」のビデオメッセージで、天皇が“自粛ムード”による「社会の停滞」に懸念を表したのも、このときの体験があったからだろう。
昭和天皇の逝去からもうすぐ30年を迎え、あの異様な状況を知らない人たちの多くは、さすがに現在では天皇逝去の前後に過剰な“自粛ムード”は起こらないと考えるかもしれない。だが、現在の日本社会を見ていると、決してそうとは言えない。
ネトウヨによる電凸、炎上騒動、さらには政権のメディア統制の状況を鑑みれば、むしろマスコミやイベントへの抗議や“不謹慎狩り”が頻発し、昭和の終わり以上に重苦しい空気がこの国を支配する可能性は十分ある。
しかし、今上天皇は今回、こうした反民主主義的でグロテスクな“一億総自粛”の再現に強く釘を刺した。その発言の意味は非常に大きいが、一方で問題なのは、こうした言葉を当事者である天皇が自ら語らざるをえなかったことだ。
生前退位もそうだが、本来、日本国憲法に定義された象徴天皇のありよう、つまり民主主義を守るための皇室制度改革は、国民やメディアの側から声を上げなければならないことだ。だが、国民の代表である政界は天皇を再び国家元首にしようという極右勢力に支配され、メディアは天皇タブーに縛られ、政権やネトウヨたちの空気をうかがうことしかしようとしない。その結果、今上天皇が自ら発言せざるをえなくなった、そういうことだろう。
今回の「お気持ち」表明でわかったのは、本来、もっとも反民主主義的な存在である天皇が、もっとも民主主義のことを考えていたという皮肉な事実だ。そのことの危うさをわたしたち国民はもっと自覚すべきだろう。
(編集部)
最終更新:2016.08.11 11:36