「あんまりどっかに家族で行ったって記憶もないな。こういうこと言うとまた怒られるんだろうな(笑)。競馬場の記憶しかないんですよ」
「中山競馬場っていうのが実家からちょっと電車乗ったらあるんですけど、ものすごい距離歩くんですよね、当時の自分からしたら。今は別に歩ける距離だと思うんですけど。駅から競馬場までの道のりがすごい遠いなと思ってましたね、ずっと。行ってもやることないし」(前掲誌13年9月号)
その他にも家族に関して彼は「別に何にも不満もなく」(前掲誌13年9月号)と語っているが、一方、父については、「マサル(引用者注:父の名前)はすごい怖かったです、ずーっと怖かった」(前同)との印象も口にしている。
バイトのエピソードやバンドが売れなかった時代の話は、小説と尾崎世界観自身に実際に起きたエピソードが完全に一致するのだが、微妙に彼自身の生い立ちとクロスさせながら〈重たい身の上話〉が語られる、この大学生のパートはいったい何を表現しようとしているものなのか?
クリープハイプのライブのMCで父マサルと母ユミコの名はしばしば登場し、二人はファンの間ではよく知られた存在となっている。そういった逸話を聞く限り、尾崎家はむしろ仲がいい家庭のようにも思えていたし、これまで家庭内暴力の過去などが直接語られたこともない。したがって、作中の大学生のエピソードが彼自身の体験の反映なのかどうかは分からない。
ただ、彼は『祐介』を出版するにあたり、「今回の小説を書いていなかったら、本当に危なかったですね。周りにはクリープハイプをもう辞めたいってずっと言ってましたから」と語っている。「“半”自伝小説」として、フィクションにしながら、それほどまでに悲壮な決意をもって伝えたいことが彼に中にはあったのだ。その伝えたかったことは、小説冒頭に置かれ、本の最後でも結局回収されないまま終わる、この〈重たい身の上話〉のパートにあるような気がしてならない。その秘密は、将来、彼の楽曲、または次の小説などで明かされるのであろうか?
(新田 樹)
最終更新:2016.08.05 08:51