もちろん、山谷氏は女性の人権だけをないがしろにしているのではない。人権そのものを敵視しているのだ。自民党憲法改正草案の起草委員会の一員だった山谷氏は、とくに、現憲法の平和主義を明確にした前文の《平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した》という文言を〈意味のよくわからない他力本願〉〈どうにもこうにも自信と誇りが持てません〉(『日本よ、永遠なれ』扶桑社)などと腐している。
まったく、憲法前文や9条を“お花畑”と揶揄するネトウヨ並みのリテラシーだが、実は彼女は自前で“山谷版”憲法前文を書いており、同書に記している。ともあれ、見てみよう。
〈四季のめぐり、恵みあふれる大八洲、豊葦原瑞穂の国に生まれ育ったわたくしたち日本国民は、睦み和らぎ、徳を高め、勤め励んで、平和の国、文化の国、道義の国として歩んできました。
美しい日本の国柄を誇り、喜びとして、これからも正直、親切、勤勉、節度、品位、調和(大和)、献身、進取の気性をもって、諸国民との協和の中で輝く自由と民主主義の国として歩みます。〉
なんだろう、コレ。ことばが完全に上滑りしていて、まるでネトウヨの作文、それこそ蝶々が飛ぶような“脳内お花畑”そのものである。そもそも、憲法は為政者の権力を縛るためのものという大前提がこの「作文」にはまったくない。さらに「正直、親切、勤勉……」などという個々人の性格を憲法で規定しようとするのはなぜなのか。本当に、頭がクラクラしてくる。
憲法学者の小林節慶應大学名誉教授は、雑誌の鼎談記事で、山谷氏や自民党の憲法観を一刀両断している。以下に引用するので、いったいどちらの考え方がまともか、読者諸賢に判断してもらいたい。
〈復古主義は、反知性主義の極みだと思います。「あの時代に戻ろう」、「明治時代の日本人は凛々しかった」、「民族が唯一自ら作った明治憲法に戻れ」と山谷えり子さんは言うわけですけど、ちょっと訳がわからない。統帥権が独立して軍隊が勝手に暴走したり、表現の自由も基本的人権もなくて、特高警察が跋扈して司法手続きもなしにしょっ引かれたり、そういう社会が素晴らしいというのでしょうか。挙げ句の果てに、愚かな戦争に突入して負けてしまったわけでしょう。戦後の日本は、自由で平和な国を築いてきたわけですから、大きな犠牲を払って良い憲法を手に入れたと私は思っていますよ。〉(「文藝春秋」15年5月号)
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いかがだっただろうか。繰り返すが、参院選候補者のなかには、こうした国民の権利を剥ぎ取り、国家に尽くすことを強制させたいと考えている極右政治家がたんまりといるのだ。本記事ではとりわけファナティックな星3つの人たちを紹介したが、これはまだまだ氷山の一角。本サイトでは星2つ、星1つ候補者を選挙区別に紹介した記事を同時公開しているので、ぜひそちらも確かめてみてほしい。
投票に行くのは、「ウヨミシュラン」を読んでから。あなたの「清き一票」が、あなたの自由や権利を踏みにじることになるなんて、決してあってはならないのだから。
(編集部)
最終更新:2016.07.11 11:22