また、GHQ民政局課長・次長を歴任したチャールズ・ケーディスは、この“atomic energy(sunshine)”発言の「心理的圧迫」説を否定している。占領史研究で知られる竹前栄治氏(2015年没)のインタビューに対して、ケーディスはこう語ったという。
〈ホイットニー将軍が「私たちは原子力の日光浴をしてきました」と白洲次郎さんに言ったのは、真面目に発言したものではなくて、単に冗談に言ったということです。〉
〈(江藤淳はこれを脅迫手段に使ったと述べていると振られて、)それは考えすぎでしょう。ホイットニー将軍はしゃれの意味で、あのような発言をされたのです。ホイットニー発言を、あなたがいま言われたように解釈するのは良くないと思います〉【脚註5】
ひっきょう、仮に、この“atomic energy(sunshine)”が原爆を想像させる単語だったとしても、せいぜい、“原爆を製造できるほどのアメリカの国力と敗戦国日本の差”を表す程度だろう。前述のとおり、当時の国際情勢では「もう一度原爆を落とす」(百田)のは現実的選択肢としてあり得ず、したがって、これを“武力による脅迫”として語るのは飛躍。「押しつけ」のために都合よく解釈したトンデモ陰謀論でしかないのだ。
そもそも百田が「日本国憲法は成り立ちからして、あれはアメリカのGHQが無理矢理つくった憲法」と断言していること自体、まともに歴史資料のひとつも読んだことがないのではないかと疑わざるをえない。“改憲映画”のなかでも、こうした「押しつけ憲法論」はさんざん展開されているが、だいたい、“日本国憲法=GHQ憲法”という認識自体、先人を冒涜している。
後編では、さらに“改憲映画”のデマに踏み込んで、百田や日本会議、そして安部首相が喧伝する「押しつけ憲法論」のウソを暴いていくことにしよう。
(梶田陽介)
■脚註・出典
【1】高柳賢三、大友一郎、田中英夫『日本国憲法制定の過程I』/有斐社、1972年
【2】筆マメだった芦田が残した膨大な記録は、死後に『芦田均日記』(岩波書店、1986年〜)として編纂されている
【3】幣原喜重郎『外交五十年』読売新聞社のち中央公論新社、初版1951年
【4】C.Whitney『MacArthur His Rendezvous with History』1956年/抄訳版、毎日新聞社外信部『日本におけるマッカーサー 彼はわれわれに何を残したか』1957年
【5】竹前栄治『日本占領 GHQ高官の証言』中央公論社、1988年
【後編はこちらから】
最終更新:2016.06.21 02:11