だが、その「政治家としての姿勢」という問題はなぜかスルーされ、ハンディキャップに対する差別観ばかりが噴出している。しかもそれは、ネット上の匿名コメントだけではない。
たとえば、乙武氏と友人だという社会学者の古市憲寿氏は、3月25日のツイッターで、こう呟いている。
〈忘れている人がいるかも知れないけど、乙武さんには手足がありません。だから自分では服を脱ぐこともできないし、相手の服を脱がせるなんてとてもできない。そして、多くの人と違って一人で欲望を処理することもできません。(若い頃は試してみたらしいけど…)〉
古市氏はつづけて、〈今回の現場で起こっていたことは、普通「不倫」と聞いて想像する光景とは、かなり違っていた気もするんです。〉と書き、乙武氏の不倫をこのように庇うのだ。
〈「不倫相手」がしていたことは、愛情表現としての実質上の介護に近いものだったろうし、奥さんは3人の子育て中だった。確かに「不倫」には違いないんだけど、当事者しか知らない、何か別の名前で呼んだほうがいい関係がそこにあったんじゃないのか…?そんな風に想像してしまいます。〉
乙武氏の不倫は「介護」──。古市氏のこの主張は、妻が子育てで手一杯であるため、乙武氏は別の人=不倫相手に「介護」をしてもらっていたのだ、ということになる。乙武氏の恋愛や夫婦関係は「乙武氏がしてもらうこと」と一方的な受け身だと思っているようだが、古市氏は障碍をもつ人が他者と切り結ぶ関係すべてを「介護者/要介護者」と見なしているのだろう。となると、友人の乙武氏に手を貸したとき、古市氏は介護として「してやった」とでも考えていたのだろうか。
こうした、差別的な擁護を口にする者はほかにもいた。たとえば、27日の『Mr.サンデー』(フジテレビ系)では、宮根誠司が「健常者とはちがう特別な事情」というような言葉で、乙武氏を擁護していた。
恋愛や性交渉において、ハンディキャップがある人の場合、さまざまな工夫が必要になることもあるだろう。しかし、そうした行為を「介護」と呼ぶのは、障碍者の恋愛を「奉仕活動」として固定して見ているからだ。擁護のためにわざわざ乙武氏のハンディキャップをもち出し「彼の不倫は介護」と述べるのは、ある意味、差別の裏返しではないのか。