しかし、明治以降に西洋的価値観の影響を受けて、日本においても「女性に性欲はあるのか?」といった議論がなされるなど、どんどん女性にとっての「性」の快楽の存在を否定するような考えが出てきた。こうして、江戸期にあったような「性」を言祝ぐ感性は日本人から失われてしまったのである。だからこそ、いま「春画」を見る女性にとって「春画」は新鮮、かつ、魅力的に捉えられるのであろう。田中優子氏はこう語る。
田中「春画を見ることの価値とか意味とかがあるならば、女の快楽の風景画というものが実在したということの確認だと思います。だからこそ、快楽は肯定できる。人間にとって快楽はいいものなのだ、存在して構わないのだ、ということですね」
以上ここまで、江戸期にピークに達した「春画」が、なぜ今を生きる女性たちを魅了したのかをご説明してきたが、先日当サイトで取り上げた古典エッセイストの大塚ひかり氏のように、西鶴など江戸期の文学についてはむしろミソジニーに溢れているものだったと評する見方もある。
いずれにせよ、まだ「春画」に触れたことがないという方がいたら、一度「春画」に触れてみてほしい。現代を生きる我々とはまったく異なる「性」をめぐる表現を見て、新たな「性」の世界へ通じる扉を開く貴重な体験ができるかもしれない。
(田中 教)
最終更新:2016.08.05 06:49