菊地成孔にとってはなかなかに苦い清志郎とのエピソードだが、彼にとって故人にまつわる最も意義深い思い出はこのイベントでのことではなく、ある日テレビを観ていた時に偶然聴いた彼の曲に心揺さぶられた経験であると言う。それは、こんな歌詞の曲であった。
〈オレがどんなにわるいことをしても
オレは知ってる
ベイビー、おまえだけは オレの味方
オレがどれだけウソばかりついても
ベイビー、おまえだけは オレを解ってくれる
オレは知ってる〉
菊地成孔が書き出した歌詞は実際に清志郎が歌っているものと微妙に異なるのだが、ここで指している曲は恐らく「君が僕を知ってる」であると思われる。名曲「雨あがりの夜空に」のカップリングであり、アルバム『EPLP』に収録されている曲である。その歌を聴いた時の思い出を彼はこう語る。
〈ワタシは、自分が、日本の音楽を聴いて、これほど泣くのだと言う事に、当惑する程でした。涙が流れたとか、嗚咽が止まらなかったとかいう問題ではない、ワタシは全身全霊が泣き果てて、泣いて泣いて、この曲が終わる前に、幸福で死んでしまうのではないかと思いました。
この歌詞を、落ち着いて口にしたり、キーパンチしたりすることが、ワタシは一生出来ないでしょう。今こうして、たった100文字に満たない言葉をキーパンチするだけで、ワタシの目玉はずぶぬれになり、鼻からは滝の様な鼻水が流れています。読み返すと、更に涙があふれて来ます。こんなに人は泣けるのか。と呆れる程です。ワタシは、フォークソングの門外漢として、日本語のフォークソングは、生涯に一曲、フォーク・クルセイダーズの「あの素晴らしい愛をもう一度」だけあれば、そして、日本語のソウルとブルースは、この一曲があれば事足りると思っています〉
この追悼文は彼の公式サイト「PELISSE」に書かれたものだったが、多くの清志郎ファンの心を打ち、後に『文藝別冊 総特集 忌野清志郎』(河出書房新社)にも転載されている。
本書に収録されたテキストの書かれた04年から15年というのは、昭和を彩った偉人たちが次々と亡くなる時代でもあった。
菊地成孔にとっては、とりわけ、クレージーキャッツの面々(植木等、谷啓、桜井センリ)、そして『シャボン玉ホリデー』(日本テレビ)での共演者ザ・ピーナッツの伊藤エミがこの世を去ったことが大きい。彼はかねてより兄である作家・菊地秀行の部屋で見つけたクレージーキャッツのレコードに夢中になったことが音楽や映画に目覚めたきっかけであると公言しており、本書でも〈ワタシはジャズとクレージーキャッツがなかったら今頃こんな仕事なんか絶対にしてません〉とまで綴っている。そんな彼らの死に、菊地成孔はこんな詩的な「レクイエム」の数々を送った。