同じく10月、東京新聞が7日付夕刊で、「『No.9(憲法九条)』と書かれた小さなタグや缶バッジをつけた市民が国会本館や議員会館に入ろうとすると、警備員らに制止される例が相次ぐ」ことを報じている。
7日午前、辺野古の新基地建設に反対する院内集会に参加しようと参院議員会館を訪れた女性が、手荷物検査を受ける際に制止され、バッグに付けていた手のひらサイズの「No.9」のタグについて、「示威行為に当たるので外すか隠してほしい」と求められた。女性は、今年8月に衆院第二議員会館を訪れた際にも、入り口で止められたという。
記事によれば、議員会館側は「『脱原発』『戦争反対』など『政治的なメッセージがあるもの』は『すべてご遠慮をお願いしている』」とし、国会法や委員会が決めた禁止事項を根拠にしているというが、「憲法9条」や「戦争反対」等が「政治的なメッセージ」に当たるという見解からして理解できないし、仮にそういう主張があったとしても、わが国の憲法は表現の自由を保障している。にもかかわらず、公権力が私人にたいして「9条」タグを外すことを強要するのは、国や公務員自身が日本国憲法を破壊しようとしているようにしか思えない。
さらにツイッターでは、一般ユーザーによる〈クリスチャンの女性が「平和がだいじ」と書いた可愛らしい絵本袋を持って国会周辺を歩いていたら警官に職務質問されたそうだ。彼女が警官に「どうして聞くんですか」と聞いたら絵本袋をさして「平和って書いてあるから」と。今や「平和」は犯罪!〉という投稿も確認できる。前述のバラカン氏や議員会館で制止された女性の例を踏まえると、さもありなんだろう。
どうやら、戦中、政府が特高警察によって、市民を社会主義者や反戦主義者という“思想犯”に仕立て上げて取り締まったのと同じように、いま、「9条」や「平和」のメッセージを身につけているだけで、“危険思想”の持ち主かであるかのように扱われる事態が起きているようだ。
こうした“「9条」「平和」弾圧”の背景には、間違いなく安倍政権が進める“改憲への道”があるはずだ。今夏の安保法制の強行成立で現行9条を骨抜きにした安倍晋三首相は、9月の総裁選で無投票再選を果たし、第三次改造内閣を発足。直後の会見で、時代が求める憲法の姿、国の形についても国民的な議論を深めていきたい」と語った。