佐藤氏は我々が考えている以上に、沖縄の基地問題における政府と沖縄の断層を深刻に捉えている。
〈中央政府が沖縄に対する構造的差別に気づかないまま、強圧的な対応を続けていると、いずれ沖縄は自己決定権に基づいて行動するようになるだろう。そうなると中央政府は、都道府県という形での日本国の統合を維持できなくなる。踏み込んで言えば、現時点で既に統合は崩れていると思う。国家統合が機能していれば、辺野古移設という中央政府の決定を、沖縄県という一自治体がここまで抵抗してサボタージュすることはないからだ〉(前述『沖縄と本土』)
そうしたうえで、考えられるシナリオとして、“埋め立て強行後の本格的な不服従運動による沖縄人と日本人の関係の緊張”がもたらす“分離独立運動の蜂起”を予見する。そして「もし、沖縄が独立することになったら」として、こう記すのだ。
〈日本全体が相当な混乱に陥るだろう。沖縄にある米軍基地は日本の抑止力維持のためには使えなくなる。日本は自前で抑止力を維持するのか、アメリカにさらに大きく安全保障を依存するのかの選択を迫られる。そのときの政治状況を想像してみてほしい。実は、事態はその一歩手前まで来ているように私には見える〉
〈現在の沖縄と中央政府との緊張が孕む本質的なテーマは、日本の国家統合が維持できるかどうかということなのだ〉(同前)
つまり、佐藤氏は、日本の統治の問題として、沖縄に対する中央政府のゴリ推しがもたらす弊害を冷静に述べているのだ。ゆえに、島尻氏の問題発言にも敏感に反応し、徹底した批判を加えたのだろう。
そしてあれから1年、島尻氏が沖縄担当相に就任したことで、佐藤氏が再び島尻批判を強めることは間違いない。メディア関係者の間では、佐藤氏が島尻氏の急所を握っていて、それを暴露するのではないか、といった観測も流れている。