しかも、当の「女性の活躍」とやらも、この人は真剣ではない。安倍首相は同会見で「21世紀こそ女性の人権が蹂躙されない時代にすべきである」などとも語ったが、そんな安倍首相を支える菅義偉官房長官は昨日、『直撃LIVE グッディ!』(フジテレビ)に出演し、福山雅治と吹石一恵の結婚について尋ねられ、上機嫌でこう話した。
「ハハハ、ほんとうよかったですよね。結婚を機に、やはりママさんたちが、一緒に子どもを産みたいとか、そういうかたちで国家に貢献してくれればいいなと思っています。たくさん産んでください」
女は結婚して子を産んで、国に貢献しろ──。まるで戦時中の「産めよ増やせよ」のスローガンが頭に浮かぶが、言っていることの本質はまったく同じ。安倍政権の考え方は、女は「産む機械」であり、子を産まない女は「国家に貢献」しない“役立たず”なのだろう。よくこれで安倍首相は「女性の人権が蹂躙されない時代にすべき」なんて言ったものだ。
だいたい、安倍政権が謳う「女性の活躍」に実体がないことはあきらかだ。安倍首相は今回の国連でも懸命に「女性活躍推進法」を成立させたことをアピールしていたが、これに準じて厚生労働省が昨年行っていた「女性の管理職登用の数値目標を達成すれば企業に助成金を支給する」という事業は、500社の申請を見込んでいたものの、なんと申請件数はゼロ。いかに企業が「女性活躍推進法」に乗り気でないかが露わになった。そもそも、深刻化する待機児童や男性の家事・育児参加の問題などが解決されないと、「女性活躍推進法」を施行しても社会と働く女性の歪みは大きくなるばかりだ。
そして、もっとも安倍政権の女性政策が信用ならないのは、安倍首相自身が考える“女性の役割”像にある。たとえば、安倍首相は著書『美しい国へ』(文藝春秋)のなかで、少子化対策についてこう述べている。
〈従来の少子化対策についての議論を見て感じることは、子どもを育てることの喜び、家族をもつことのすばらしさといった視点が抜け落ちていたのではないか、ということだ。わたしのなかでは、子どもを産み育てることの損得を超えた価値を忘れてはならないという意識がさらに強くなってきている〉
少子化の理由には、働きながら産み育てることが困難であるだけでなく、働いても働いても貧困から抜け出せない現実があるからだ。そんな社会のなかでは、結婚や出産を思い描くことも難しい。だが、安倍首相はそのような経済状況を一切無視し、〈家族〉という価値を押しつけるばかりだ。