又吉直樹とともに芥川賞をW受賞した羽田圭介は03年、『黒冷水』(河出書房新社)で第40回文藝賞を受賞し、17歳でデビューしているが、作家収入のみで暮らしていた期間は大変につらく。一時期は、公務員試験を受験しようと思ったことすらあるという。「文藝春秋」(文藝春秋)15年9月号では、その頃のことをこう振り返っている。
〈今から三、四年前くらいでしょうか、書き下ろしの原稿料なしで印税のみという仕事を連続して引き受けてしまったんです。しかも二冊とも長編で、完成させるのに時間も割いた。なんとか書き終えたものの、増刷もなく、気がついたら生活が苦しくなっていた。作家って、貧乏だと認識した時にはもう遅いんです。死ぬ気で百枚書いても、それが雑誌に掲載されるなり本になるなりしてお金が入るのは、最低でも二、三ヶ月は先。サラリーマンとは違う、物書きという職業の危うさを、そこで初めて実感しました〉
『中流作家入門』で松久淳が指摘していた通り、作家として食べていくためには、ペン以外の食い扶持、すなわち“副業”が必要になる。芥川賞を受賞したところで飯は食えない。ただ、賞を受賞したことで名が売れると、芥川賞は“副業”の役には立ってくれる。前出の「宝島」で西村賢太はこう加える。
「受賞したことによって、それ以前はまず依頼のなかった随筆や対談、他者著作物への解説文など小説以外の仕事も増えました(中略)
随筆も月3本書けば「塵も積もれば」で、それなりの収入になりますからね。
このほか、テレビ出演なんかのアルバイト仕事にも、ポツポツありついていますし」
有名になったことでテレビなどのメディアに進出した例としては、他にも98年受賞の平野啓一郎があげられる。
ただ、それ以上に多いのが、大学教授になるケースだ。14年受賞の小野正嗣が立教大学准教授、07年受賞の諏訪哲史が愛知淑徳大学、00年受賞の堀江敏幸が明治大学教授・早稲田大学教授を歴任、1998年受賞の藤沢周が法政大学教授……と、他にも枚挙に暇がない。
また、この他にも、講演で副次収入を得ることもあるし、当人の能力と努力次第で、ペン以外の食い扶持が用意されることは多い。こういった点では、芥川賞の受賞もムダではなく、経済的に困窮していた太宰治が芥川賞受賞に固執したのもうなずける。しかし、こうした副収入に頼らず、ペンのみで暮らそうとすると、大変な苦労を強いられることになる。