いまさら言うまでもなく星野凌斗さんの母親は、息子の無事をだれよりも祈り、不安のなかで生活していたはずで、それに追い打ちをかけるように犯人扱いされることは耐えがたい苦痛であったはずだ。だいたい、いまどきタトゥーくらいファッションで入れることはめずらしい話でもないが、なぜそれが息子の友人を殺害する「理由」になるのか。なぜ、そんなことが「根拠」だと言い張れるのか。
じつは2007年にも、香川県で発生した殺人事件で被害者の家族である男性がネット上で犯人扱いを受けている。この男性は風貌が山下清に似ていることから「画伯」と呼ばれ、「画伯が犯人」と“認定”された。その後、別人が逮捕されると謝罪が次々に書き込まれたが、はたしてそれで彼の名誉は回復されたと言えるだろうか。家族を殺害した犯人に仕立て上げられた彼の痛みは、そんなことで癒やされるはずはない。
このように、ネット上で行われる無責任な犯人探しや、正義を振りかざした個人情報の暴露・拡散といった行為を、大宅壮一ノンフィクション賞を受賞したジャーナリストの安田浩一氏は「ネット私刑(リンチ)」と呼んでいる。
〈直接の暴力こそ用いるわけではないが、私的制裁を目的に集団で特定個人を貶めるのは、まさに「私刑」(リンチ)そのものである〉
こう綴っているのは、先月発売された『ネット私刑(リンチ)』(扶桑社新書)だ。本書では、これまでネット上で発生したさまざまなネット私刑の事例を取り上げているが、なかでも記憶に新しいのは、今年2月に起こった川崎市の上村遼太さんが殺害された事件だ。
川崎の事件では、上村遼太さんの遺体発見の1週間後に18歳の少年A、17歳のBとCが逮捕されたが、ネット上ではそれ以前から犯人捜しが行われ、少年Aの写真が拡散されていた。
〈どんなシチュエーションで撮影されたのかも不明な写真は、しかし、憤りで縁取られたフィルターを通して見れば、それは不敵な笑みにしか映らない。
「犯人逮捕」を待ちわびている人間が、これに食いつかないわけがない。
「人殺し」のくせに笑っている。人間の死を、嘲笑っている。このまま逃してたまるか──。
そう思わせるに十分な表情だった。
枯草の山に火を放ったかのように、ネット界隈は燃えた〉