左『東京を生きる』(大和書房)/右「モチイエ女子web」連載コラムのプロフィールより
いま、世間では空前の“こじらせ”ブームである。能町みね子、久保ミツロウ、峰なゆか、犬山紙子、ジェーン・スー……、“こじらせ女子”とカテゴライズされる文化人が次々とブレイクし、それぞれ著作はヒットを連発。また、彼女らの勢いは活字メディアにとどまらず、能町・久保の『久保みねヒャダこじらせナイト』(フジテレビ系)、ジェーン・スーの『ジェーン・スー相談は踊る』(TBSラジオ)など、テレビやラジオの世界へも続々と進出している。メディアでも“こじらせ女子”を特集した企画が急増するなど、“こじらせ”が何かオシャレにさえ感じてしまうようになった昨今だ。
しかし、“こじらせ”はけっしてファッションではない。具体的に彼女たちの人生を見聞きすると、よるべなき存在の不安や身を引き裂かれるような苦悩の末にいきついた言葉だということがよくわかる。
たとえば、その“こじらせ女子”なる言葉をつくったオリジネイターでもある、AVライター・雨宮まみが今年、新著『東京を生きる』(大和書房)を上梓したが、そこにはこんな一節がある。
〈東京に出てきて、私はいつも、セックスに飢えている気がする。してもしても、まだ足りない気がする。過激なことを望んでは、ほんとうに満たされることを、もしかしたら自分は知らないのかもしれない、知らないからこんなに求めてしまうのかもしれない、と不安になる。
それで満たされることを知ることが、この世でほんとうの贅沢を知ることのように思えてくる。それを知っている人間だけが、貴族のような階級にいて、自分はそこには行けないのではないかと思う。それについて語る資格など、ないような気がする。私のそれなど、ひどく浅瀬にあるものなのではないかと思えるのだ〉
『東京を生きる』では、故郷を離れて“東京”に暮らし、“AVライター”という女性としてはかなり珍しい仕事のなかで、自らの“女性性”と格闘することになった日々の思いが生々しく綴られている。
そもそも彼女がエロ業界に飛び込んだのも、自分の“性”との折り合いがつかなくなったからだった。そのことは、4 年前に雨宮が出版した自伝的エッセイ『女子をこじらせて』(ポット出版)に書かれている。