『侍従長の遺言 昭和天皇との50年』(朝日新聞社)
終戦記念日の8月15日、またぞろ恒例の閣僚による靖国参拝が実施された。予想通り、高市早苗総務相に有村治子少子化担当相、次期総理説も出ている稲田朋美自民党政調会長も参拝した。安倍首相も本人の参拝こそ見送ったが、例の言論弾圧の先兵・萩生田光一首相特別補佐を名代にたてて、玉串料をおさめた。
しかし、この底の浅い歴史修正主義者たちは、昭和天皇が靖国神社のA級戦犯合祀を嘆いたこんな歌を詠んだことを知っているのだろうか。
〈靖国の名にそむきまつれる神々を思へばうれひのふかくもあるか〉
「靖国の名にそむきまつれる」というのはかなり激烈な表現だが、実はこの歌は正式には発表されていない。その存在を明らかにしたのは、朝日新聞の元宮内庁担当記者・岩井克己氏だ。
岩井氏は記者時代、「皇太子ご夫妻訪韓延期」「礼宮さま婚約」「雅子さま懐妊」など、数々のスクープを手がけた一方、皇室への深い造詣と該博な歴史の知識でも知られている元皇室記者だ。とくに昭和天皇の側近中の側近である徳川義寛侍従長(当時)から厚い信頼を受け、徳川の死後、その生前の証言をまとめた聞き書き『侍従長の遺言 昭和天皇との50年』(朝日新聞社/1997年)を出版している。
岩井氏は現在、月刊情報誌「選択」(選択出版)で、「皇室の風」という連載をもっているのだが、今から2年半前の2013年2月号で徳川侍従長とのこんなエピソードを公開して、上記の歌を紹介したのだ。
〈筆者は聞き書きの最中、生前の徳川から御製集(天皇の短歌や詩作集)『おほうなばら』を数日間貸してもらったことがある。ページをめくっていると、小さな短冊がはさんであるのに気づいた。鉛筆の走り書きである。後日尋ねると「発表をとりやめた歌です」と答えた。「これこそが昭和天皇の元の御製に違いない」と思った。〉
岩井氏の指摘はかなり信憑性の高いものだ。周知のように、1978年、靖国神社が松平永芳宮司の手でA級戦犯合祀を行って以来、昭和天皇は靖国参拝を取りやめ、亡くなるまで一度も行っていない。