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何度でも言おう 『永遠の0』は反戦作品じゃない、平和ボケの戦争賛美ファンタジーだ!

 半年に渡る地獄の長期戦となったガダルカナルの戦いも「いったいなぜこんな愚かな作戦が実行されたのでしょう。参謀本部は何を考えていたのでしょう。戦国時代のような戦い方で米軍に勝てると判断した根拠がまったくわかりません」というだけ。さらに、戦争末期に至ってもまだこんなことを書く。

「サイパンやグアム方面は多くの島々に我が軍の陸上基地が多数あり、航空機の総数もかなりのものだったから、まさか米軍がやってくるとは思わなかったのだろう。これも油断に他ならない」

「歴史に『if』はないが、もしもあの時、栗田艦隊がレイテに突入していたなら、ほとんどの丸裸の米輸送船団は全滅していただろう。そうなれば米軍のフィリピン侵攻作戦は大いなる蹉跌を被ったことは間違いない」

 いかがだろうか。おそらく百田らはこうした記述をもって、「戦争を否定している」「軍上層部を痛烈に批判している」と言っているのだろうが、あくまで「戦争に負けたこと」や「戦争の戦い方」を批判しているのであって、「戦争」そのものを批判しているわけではまったくない。

 そもそもなぜ戦争が起きているのかに関しては、登場人物の誰ひとりして、批判はもちろんひと言の疑問さえも一切口にしてないのである。それどころか、「◯◯をしておけば」「油断があった」「驕りがあった」「決定的なチャンスを逃した」……ようは「こうしておけば勝てたかもしれないのに」と主張し続ける。

 これらについては、語っているのが年老いた元兵士だからだろう、と思う人もいるかもしれない。しかし、それは武勇伝をきいた語り手の青年も同じだ。そこに何か複雑な思いを抱く訳でもなく、ただただ感化されていく。そして、こんな感想をいう。

「航空母艦の戦いといえど、結局は人間同士の戦いだった。戦力データの差だけが勝敗を決めるのではない。勇気と決断力、それに冷静な判断力が勝敗と生死を分けるのだ」

 スポーツ観戦の感想ですか、と言いたくなる浅さ。これは、語り手と一緒に取材している姉も同じだ。海軍上層部について「エリートゆえに弱気だった」「頭には常に出世という考えがあった」「作戦を失敗しても誰も責任を取らされなかった」と批判するのだが、気になって「いろいろ調べてみた」という内容が、「試験の優等生がそのまま出世していくのよ。今の官僚と同じね」「ペーパーテストによる優等生って、マニュアルにはものすごく強い反面、マニュアルにない状況には脆い部分があると思うのよ」というもの。で、それを聞いた語り手である弟がまた「戦争という常に予測不可能な状況に対する指揮官がペーパーテストの成績で決められていたというわけか」と返す。

「お前らこそペーパーテスト姉弟か!」とツッコみたくなるが、とにかく論点は最初から最後まで「勝敗」。戦争すべきでなかったという原則論はもちろん、戦争を回避できなかったのかというプラグマティックな視点も皆無だ。そして、ふたりはこんな結論にたどり着く。おじいさんは戦争に殺されたんじゃない、海軍に殺された──。これのどこが戦争反対なのか。

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