テレビでも活躍する女優で劇作家の渡辺えりは、戦時中に武蔵野の飛行機工場で零戦のエンジンをつくる旋盤工を務め、アメリカ軍による爆撃で九死に一生を得た父の話を聞き、その思いをエッセイに寄せている。
〈父からこの話を聞いたときから私は変わった、自分という内面を見る自分が外に押し出された感覚とでもいうのだろうか?
もし父が爆撃で倒れていたら勿論私はこの世に生を受けてはいない。あの戦争で犠牲になった多くの人たちと生まれなかった私と同世代の夥しい数の人間たちの姿が現れた。と感じた。自分は一人で生きているのではない。生まれるはずだった人たち。生まれたくても生まれることのできなかった人たちの分も生かされているのだと強く感じた。そして自分は戦争の中から生まれた子供だったのだと分かったのだった。〉
先にあげた坂手洋二の指摘した“言葉の軽さ”にもつながる話だが、いまこの国を戦争を可能にする国へと変えようとしている人たちに、この“当事者意識”はあるのだろうか?
戦争が始まれば人は死ぬ。それは本当に多くの人たち、いま生きている人だけではなく、今後生まれてくる人々の運命をも変えてしまうことなのだ。
しかし、その“当事者意識”をもちえない人々がこの国には確実に存在し、その影響力はどんどん力を増しているように見える。
では、そのような人々に対し、我々はどうすればよいのだろうか? 戦争を軽いものとして考える人々の増えているいま、その悲惨さ・悲しさをもっとも強く伝える戦争教育のあり方について、劇作家の鴻上尚史はこう語る。
〈沖縄の友人が言います。「平和教育だって言って、修学旅行の生徒たちを、まず、ひめゆりの塔とか戦争関係の所に連れていくんだよ。そんなことしたら、みんな、深刻な顔になって、沖縄を楽しめないんだよ。逆なんだよ。沖縄に来て、青い海や青い空でさんざん遊んで、「沖縄サイコー!」ってなった最終日、戦争の傷跡を見せるんだよ。「ええ! こんな素敵な場所で、こんなことが!?」って呆然としたまま、飛行機に乗せるんだよ。それが沖縄を理解する正しい順番なんだよ」〉
鴻上が語った戦争教育の考えは、文筆家である吉田健一の言葉で、後にピチカート・ファイヴの小西康陽が引用し若い世代にも知られるようになった名文、「戦争に反対する唯一の手段は、各自の生活を美しくして、それに執着することである」に通じるものがある。
圧倒的な数の暴力で強引な政治を行おうとする与党に対し、一市民である我々ができることはあまりにも少ないが、負けずにこの平和で豊かな生活に執着し続けたい。本当に戦争が始まってしまってからでは、もう遅いのだから。
(新田 樹)
最終更新:2015.07.07 11:09