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元少年Aの手記出版には公益性がある!『絶歌』が明らかにした警察情報とマスコミ報道の嘘

 犯行前、同級生の男児を激しく殴り、ナイフをかざしたことがあった。その際、両親に対して「悪口を言いふらされた」と嘘をついたAに母親はこう静かに諭したという。

「そぉか。それはあんたも辛かったな。せやけど、いくら悪口言いふらされても、暴力振るってもうたら、最終的にはあんたが悪者にされてまうねんで」

 これのどこが、「しつけが厳しすぎた」ということになるのだろうか。実際、Aは、母親と事件の関係について「何の因果関係もない」ときっぱり否定した上で、間違った分析が流通した背景をこう分析している。

「誰もかれもが母親を『悪者』に仕立て上げようとした。ともすれば事件の元凶は母親だというニュアンスで語られることも多かった。裁判所からは少年院側に『母子関係の改善をはかるように』との要望が出された。そんな状況の中で、いつしか僕自身、『母親を悪く思わなくてはならない』と考えるようになってしまった」

 つまり、Aは“母親元凶説”が逮捕された後の、“刷り込み”だと言っているのだ。そして「いかにもドラマ仕立のストーリーはわかりやすいし面白い」とも評している。

 どうだろう。もちろん、Aの『絶歌』での告白がそのまま真実かどうかはわからない。しかし、少なくともこれまでの議論の前提とはまったく異なる証言が出てきたわけで、本書が出版されなかったら、こうした矛盾もいまだ明るみに出ることはなかったはずだ。

 だとしたら、私たちがやるべきは、本の表紙を閉じたまま「なんでこんなものを出すんだ!」とヒステリックに叫ぶことでなく、彼の告白をきちんと分析、検証し直し、佐世保の女子高生、名古屋大学女子学生が起こした殺人事件をとらえなおすことではないか。

 出版を許すな!という人たちの中には「ほんとうの反省がない」「自分のことしか考えていない」「犯罪の助長につながる」といった理由をあげる人もいるが、これも的外れだ。「反省がない」姿勢が批判を受けるのは当然だが、しかし、それはイコール出版してはならないということではない。本当の意味で反省できない加害者の姿そのものを知ることが、逆に犯罪の研究や今後の矯正教育のあり方を考える上で役立つことは十分ありうる。

 しかも、Aは反省していないかもしれないが、少なくとも後悔はしている。そのことを象徴するエピソードが『絶歌』に登場する。

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