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「ヘイト」を追及し続けるジャーナリスト・安田浩一インタビュー(前)

両論併記に逃げるメディアの傍観者たちは「ヘイト」の意味も危険性もわかっていない!

■大江の安倍批判はヘイトじゃない! 言葉の定義すら知らない新聞社

──この2年間、ヘイトスピーチに関する報道も増えました。安田さんから見て、この2年間でメディアの報道姿勢は変わっていると思いますか?

安田 変わっている部分と変わっていない部分、両方あります。在特会が社会に出てきたのは2007年でした。外国人労働者の取材をライフワークとしていた僕の視界に、彼らの姿は嫌でも飛び込んできたんです。
 それで取材を始めましたが、同業のライターとか編集者に彼らについての企画を持ちかけてもみんな断られました。「あれは一部のバカがやっていることだ」「いずれ消えてなくなる」といった理由をさんざん聞かされた。反発心はありつつ、一方では僕自身もそうした理屈を受け入れつつありました。
 そういう当時の状況と現在を振り返って変わったのは、この問題にしっかり精通して、正当な批判を加えることのできる同業者が増えてきたこと。存在を知っていながら意図的に無視したり、自分の手を汚すことなく彼らの存在を論じていた人々が、今は少なくとも現場に出向くようになった。もちろん、数としては少ないですよ。でもそういう人が出てきたということは、やっぱり僕はメディアも変わったと思います。
 ただ、まだまだメディアの無理解というものがなくなったくわけじゃない。ヘイトスピーチをめぐる議論がこの2年間活発に行われてきた一方で、例えば産経新聞は憲法記念日に行われた護憲集会で大江健三郎が行ったスピーチのなかで安倍晋三を呼び捨てにしていたことを踏まえ「一国の首相を呼び捨てで非難するのは、『ヘイトスピーチ』そのもの 」と報じました。ヘイトスピーチとは人種・民族・国籍・性などのマイノリティに対して向けられる攻撃で、一国の首相を呼び捨てにすることはヘイトスピーチでも何でもありません。新聞社が未だにそうした報道をすること自体驚きですが、普段周りの同業者と話したり、メディアの学習会に参加すると、近い考え方をする人は決して少なくないと気づかされることもあります。
 ヘイトへの議論が一部では積極的に交わされていても、まだ社会全体はそこに追いついていない。僕らはもっともっと伝え続ける必要があるんだと思うことの方が多いですね。

──報道が増えた一方で、自分も個人的に懸念していることがあります。報道が出たときにWebではあっという間にまとめが作られたり、YouTubeに動画がupされることである種プロレス的に出来事が消費されてしまう。しばき隊×在特会にしても、昨年10月の橋下×桜井会談にしてもそうです。「何が問題なのか」が掘り下げられないまま、ケンカの面白さだけが消費されているんじゃないかという懸念があるんです。

安田 ある種の活劇ですよね。カウンターとデモ隊が衝突をしているような現場で大事なのはヘイトスピーチが「かき消されている」ということ。でも衝突が「面白けりゃいい」なら、その場の風景だけにしか興味を持たれない。
 そもそも、醜悪なデモが行われている時点で社会は敗北しているわけですよね。その場で誰かが投げたヘイトスピーチの弾は、誰かの胸に必ず突き刺さっている。その時点で社会は負けていると、きちんと報じる役割をメディアは果たしているんだろうか。そうしたことは自問自答し続けなきゃいけないと感じますね。反対者が出るのはいいことだし、デモでの抗議が面白いからメディアが集まってきているという側面はたしかにあると思います。でも、その部分だけをYouTubeやニコ動で引っ張り出してきて、プロレス解説風に面白おかしく論じることに、今はさほどの意味もないと思います。

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