証言台で、自分はむしろ手術の中止を申し出た、軍の命令だったと繰り返し訴えるも、鳥巣に対して死刑判決が下る。妻が受け取った外務省からの判決通知書には「教授鳥巣太郎」とあった。皮肉なことに、助教授だった鳥巣は責任を取らされるかのように教授に昇格していたのだ。妻の献身的な活動が実を結び、減刑を勝ち取ることになるが、国の絶対的な命令に必死に逆らった若き医者が、むしろその責任を背負わされる立場へと変転していく様はただただ恐ろしい。
著者は、古希を迎えた自身がこの本を書き上げた動機として、「せめて戦争がどんな残酷なものか、どれほど人の心を狂わせるかを若い世代に伝えるのが義務である」とした。刑期を終えた伯父は晩年、「日米安保条約と自衛隊の補強をテーマにした報道番組」に映る自衛隊の戦車の映像を、厳しい目で見つめていたという。
安倍首相は今回の安保法制の閣議決定は「戦争」に繋がるものだとする指摘を「レッテル」とし、あくまでも「平和安全」の強化だと言い張った。著者は本書で70年前の事件を掘り返し、戦争というものが、いかにじわりじわり人を蝕んでいくかを明らかにしていく。先日の会見で「私たちは、自信を持つべきです。時代の変化から目を背け、立ち止まるのはやめましょう」と前向きなJ-POPの歌詞のような宣言で会見を締めくくった、何かと未来志向な安倍首相。こういった歴史の具体的な断片に「つまびらかに」目を向けることはない。本書は、逃げ足の早い国家がいかにして個人に責任を押し付けてきたのか、戦争の古傷を静かに教えてくれる。
(武田砂鉄)
最終更新:2018.10.18 05:09