このような現状に、中村は文学者として並々ならぬ危機感を抱いているのだろう。「僕は、この日本という国に、僕が言う意味での表現の自由が制限される、戦前・戦中のような時代がやってきたときのことを想像してみたんです」と言い、「そのときに発禁に一番近い本は何だろう? と思うと、まずは『はだしのゲン』。その次が『宰相A』だと感じました。『はだしのゲン』は、もう実際チクチクいじめられている」とシミュレート結果を述べている。そして、田中が『宰相A』をいま書いた理由を、このように考察するのだ。
「もしかしたら、書けるものが書けなくなるっていう危機感じゃないですか? 小説を書く自分を邪魔する存在が現れるかもしれないという危機感。今じゃなきゃ『宰相A』みたいな小説は書けないと無意識に判断したのかもしれませんよ。事実、五年後だったらこの小説は攻撃を受けたかもしれないし。今だって、山口の図書館から消されるってことが絶対に起こり得ないわけじゃないですよ? 表面的には「善」のような理由で」
「戦時中にナチスが色々な本を燃やしたんですけど、そういうのって僕らからすると、「ナチスだから、それぐらいやるだろ」と思っちゃうじゃないですか。でも、当時の人たちは中世のおとぎ話のようなことが目の前で行われていることにとても驚いたらしいんですよ。今もそうした驚きが起こり得るかもしれない流れのなかにあって、作家としての脳が今じゃないとこの小説は出せないと判断したところもあったのかもしれないですよ」
中村は「僕はね、窮屈な時代が完全にスタートする前にいろんなことを言う必要を感じているんです」と言う。もちろん、中村は権力から制限をかけられることだけを危険視しているわけではない。「「空気」は本当に怖くて、誰も聞く耳をもたなくなる」と、大衆の姿勢をも憂虞しているのだ。
哲学者であるハンナ・アーレントは、『全体主義の起源』のなかで、〈全体主義運動は大衆運動であり、それは今日までに現代の大衆が見出し自分たちにふさわしいと考えた唯一の組織形態である〉と書いている。全体主義とは、権力側の発動だけではなく、大衆が迎合して生まれるものだ、と。
だからこそ、わたしたちは口をつぐんではいけない。言いたいことを言いつづけること。言いたいことを言えない状況に抗い、批判しつづけること。それをやめたとき、この社会からはほんとうに自由が消えるだろう。「(いまは)けっこうギリギリの時かなって」という中村の警鐘が、重く響く。
(水井多賀子)
最終更新:2015.05.09 03:34